はじめに
今年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の受験生のヒントにしたいと考えます。
今回は北海道大学です。文学部のみの選択問題で旧帝大の世界史のなかでは唯一大論述がありませんが、小論述は教科書の理解を試す良問揃いです。
今年から歴史総合・日本史/世界史探究」からの出題ですが、結論から言うと今回は歴史総合に載っていて世界史に載っていない用語(去年の阪大の「日英通商航海条約」のようなもの)は出ていません。過年度生に配慮した作りです。
解答例は正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。字数は一行35字ぐらいで書いています。行数は駿台の解答速報に従いました。
*解答例作成の方針
- 受験生と同じく何も見ないで解答する。ただし途中でお茶を飲んだりトイレに行ったりはする(ルール違反)
- 解答を作ったら、受験生がアクセスできる教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)、資料集(帝国書院、浜島書店)、参考書(詳説世界史研究)でウラを取る(イカサマ)
- 仕上げに河合塾、駿台、東進、代ゼミの解答速報と比較する。解答欄が行の場合は予備校の解答例から行数を割り出し字数を修正した
- 解説は関連する一般書を利用する
問題は東進過去問データベースより(要会員登録)
大学の解答例。そのうち消えます。
難易度
◎:即答 ○:たぶん正解できる
△:やや難しいが正解できれば合格に近づく
▲:かなり難しい。論述だと完答は難しい ×:ドボン(満点防止問題)
一問一答の出題パターン
ま:判別が紛らわしいもの や:書くのがややこしいもの
こ:事項の細かいいつどこだれ
り:教科書の記述内容を理解できている、またその知識から推理する
ぜ:有名な事項のあとひとつ ゆ:現在の言葉の由来、フルネーム
て:権力に抵抗した、または宥和しようとした人や事件
ク:他教科クロスオーバー グ:グローバルもの
目次
2010年からの出題内容
| 年度 | Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ |
| 2010 | ウィーンをめぐる歴史 | トルキスタンの歴史ティムールまで | アフリカ近現代史 |
| 2011 | エジプトのイスラーム王朝 | 漢とローマ | ヨーロッパのアメリカ大陸進出 |
| 2012 | コンスタンティノープル | 北京 | 1960年代の世界 |
| 2013 | バグダード | 中国における思想統制 | 近現代の内戦 |
| 2014 | 大西洋を舞台としたヒトモノカネ情報の移動 | イブン=バットゥータ | 中国史の小論述雑題 |
| 2015 | 地中海 | ローマ教皇 | 19世紀の英仏のアジア侵略 |
| 2016 | 唐宋変革と周辺民族 | イスファハーン | 戦間期 |
| 2017 | アリストテレスと国制(ギリシアとローマ) | ヨーロッパにおける森林と人間 | 近現代のロシアと中国 |
| 2018 | 西アジアの農耕 | 奴隷制 | 冷戦期の東アジア |
| 2019 | 聖者崇拝 | コーヒーをめぐる歴史 | ヨーロッパの歴史的建造物 |
| 2020 | イスラーム対等以前の西アジア | 帝国主義列強の世界分割 | 戦後の東アジア、東南アジアの独立 |
| 2021 | 中国の官吏登用制度 | ゲルマン人とビザンツ帝国 | 戦間期のアジアとヨーロッパ |
| 2022 | 中国と東アジア諸地域 | イスラーム世界の歴史叙述 | 啓蒙思想 |
| 2023 | イタリア半島 | 中国大陸の北方と南方の統合と分裂 | 近現代の革命 |
| 2024 | トルコ系遊牧民 | ヨーロッパの独裁者 | 世界の人口動態 |
| 2025 | キリスト教とイスラーム | 明と清 | 脱植民地化 |
コメント
2010年から大問3題固定です。2問がテーマを絞って時代ぶち抜き、1問は主に近現代の比較的狭いスパンで同時代の各地の出来事を問います。地域はヨーロッパと東・東南アジアは必ず出て、もう1題は西アジアのことが多いです。
教科書の全範囲(時代・地域)からまんべんなく出るので、教科書の内容を理解し、用語の内容や単元の狙いを正確に記述することが求められます。
1
問1~問7
問1 ア)ネロ◎ イ)ペテロ◎
問2 ミトラ教▲
問3 ア)クローヴィス◎
イ)メロヴィング朝フランク王国のその後の発展をこの改宗と関連付けて説明▲
西ローマ帝国の滅亡後にガリアに残っていたローマ人を統合し、またローマ教会の支持を得て領内の統治が安定した。またアリウス派を信仰する他のゲルマン諸国家に対して優位を主張し領域の拡大をすすめた。95字3行
問4 アッバース朝の税制改革(民族によらずムスリムが平等)の説明△
非アラブ人もイスラームに改宗すればジズヤを免除された。またアラブ人ムスリムも征服地の土地に関してはハラージュを支払うようになった。65字2行
問5 図A(アラベスク)の表現の特徴と、そうした表現がなされた宗教的な理由○
キリスト教は教会の装飾に聖画像を用いるが、イスラームはコーランの教えである偶像崇拝禁止を厳守し唐草模様などの幾何学的な装飾を特徴とする。69字2行
問6 ベネディクトゥス◎
問7 ア)両シチリア王国◎
イ)バイユー刺繡画にあらわされるノルマン人の高度な水・陸の技術について説明×
ノルマン人は竜骨を用いた喫水の浅い船を操り外洋だけでなく川を遡り内陸に進出することができた。また船に馬も積み込み鎧の使用など騎馬の技術に長けた。72字2行
ヴァイキング船 CC0

バイユーのタピストリー(部分)クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際
解答のポイント
問3イ)、3行だと現役生は書くことに困る。ぶんぶんは西洋史出身なのでクローヴィスと争ったシアグリウス(西ローマ帝国衰亡後のガリア北部に残ったローマ人支配地域の領主)の話を知っているのでそれで字数を整えた。
問4、マワーリーへのジズヤ廃止は出ても、アラブ人の征服地へのハラージュ課税は現役生にはきついところ。新潟大学2025年でも出題。
問7、満点防止問題。ぶんぶんは授業でヒストリーチャンネルのヴァイキングの秘密(youtubeの予告編)を視聴する。解答例はそれを参考にした。
さらにタピストリーから鎧(踏ん張りがきくので馬上で長槍が使える)を読み取るのだが、調べたところヨーロッパに鐙が入ったのは5~10世紀でアヴァール人から学んだという説があるが、そんなこと教科書には載っていないし、ノルマン人が鐙を使っていたのはこの時期として一般的か特別かはこの資料だけでは判断できない。
船について
問8~問9
問8 イエズス会はラテンアメリカやアジアに進出してさかんに布教を行ったが、こうした布教活動を促した当時のカトリック教会が置かれた状況を説明する◎
宗教改革に対抗して教皇権の維持、綱紀の粛正、信者の拡大に迫られていた。35字1行
問9 ア)東側=アカプルコ ○グ 西側=マニラ ○グ
イ)この太平洋をはさんだスペインの交易では主にどのような商品が、それぞれどちらから運ばれていたか、説明する○グ
アカプルコからは銀が、マニラからは中国産の絹や陶磁器が運ばれていた。34字1行
解答のポイント
問8、「おかれた状況」なので、宗教改革の広がりとそれに対抗するローマ=カトリック教会の対抗措置を書く。一行だとキツキツ。
問9、グローバル問題の鉄板。
2
問1~問7
問1 A 万暦○こ B 李自成◎ C アイシン(金、後金)○ぜ D 台湾◎
宋や元では海外商人の来航や中国商人の海外渡航など私貿易が盛んで、王朝は港市に市舶司を置いて貿易を管理した。14世紀の動乱で倭寇の活動が活発化すると明は私貿易を禁止して交易は中華王朝と周辺国の朝貢貿易に限定した。104字3行
問3 マラッカ王国の存続を可能にした理由、15世紀後半以降にマラッカ王国が東南アジア地域に与えた影響、宗教的側面に言及しながら△グ
マラッカ王国は明への朝貢を続けながら国王がイスラームに改宗して鄭和以来のムスリム商人との関係を継続した。マラッカは南シナ海とインド洋交易の中継貿易で栄え、その影響で東南アジア諸島部にムスリム国家が形成された。104字3行
問4 ア)土木の変◎ イ)オイラト◎
問5 16世紀半ばごろにモンゴル人や倭寇が活動を活発化させた目的と明の対応▲
明は貿易統制を続けたのでモンゴルは朝貢の拡大を求めて出兵し倭寇は私貿易を行った。明は取り締まりに失敗し、海禁を緩め草原地帯の交易を拡大した。70字2行
問7 清の西方が支配地域に組み込まれた過程▲
ジュンガル部は清とチベット仏教の支配権をめぐって争い、外モンゴルに進出した。康煕帝はジュンガルを破って外モンゴルとチベットを支配下に収め、乾隆帝はジュンガル部を滅ぼして東トルキスタンを藩部とし新疆と名付けた。104字3行
解答のポイント
ここ数年の鉄板である明、清と周辺部の関係に関するグローバル問題。2025年の九州大学の大論述と一部被る。
問2、宋と元は私貿易が盛んで中国商人が海外に進出したこと(そのアイコンがジャンク船)、しかしその結果14世紀に銀が流出し沿岸では倭寇の活動が活発化したので、明初は海禁政策がとられたことを書く。
問3、「国王がイスラームに改宗」と「東南アジアにムスリムの王国」だけでは字数が余る。明への朝貢継続によってマラッカが東西の結節点になったことも書く。
問5、ぶんぶんは昔ブログで特集した話で、永楽帝がオイラトとタタールを服属させたあと、北方にも海禁を適応してそれまでの交易(馬市)を制限したためにオイラトやタタールの侵入を招くことになった。現役生には難しい問題。
問7も乾隆帝のところは書けても康熙帝のところは現役生には難しい。
しかし『ぶんぶんの進路歳時記』は親切なサイト
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
問6は2025年からの大河ドラマを見ていたら「木版印刷」と自信をもって書けただろうが、受験生にそんな暇があるかどうか。ちなみに今年の九州大学の日本史に元禄期の出版物が木版印刷が主流であった理由を答える問題が出題されている。
庶民向けイラスト入りの本は木版印刷の方が適する。『西遊記』の挿絵。パブリックドメイン。

3
問1~問6
問1 A ボストン茶会事件◎ B トゥサン=ルヴェルテュール△て
問2 スペイン支配地域で誕生した独立国家に観られる共通の特徴▲り
クリオーリョが中心となって建国された共和国で、奴隷制は廃止されたが彼らが地主や商人として政治・経済を独占して先住民やその混血の住民を支配した。またイギリス資本との関係を深めて経済のモノカルチャー化が進んだ。103字3行
問3 ア)第一次世界大戦後、イギリスとフランスに関連した中東地域での領土変更○こ
英はイラク・トランスヨルダン・パレスティナ、仏はシリアを委任統治領とした。37字1行
イ)トルコ共和国の成立過程で実施された政策のうち文字改革○り
トルコ語をアラビア文字ではなくローマ字で表記するようにした。31字1行
問4 ア)ウィルソン◎
旧ロシア、オーストリア領に適用されアジア・アフリカには適用されなかった。36字1行
問5 平和五原則◎
問6 イスラエル国家の成立に至る経緯を説明する○り
指定語句 シオニズム パレスティナ 国連決議 第一次中東戦争
ユダヤ人がシオニズムを唱えパレスティナに入植してアラブ人と衝突、第二次世界大戦後にパレスティナを分割する国連決議が出るとユダヤ人はイスラエルの建国を宣言、アラブ側が反発して第一次中東戦争となりイスラエルが勝利した。107字3行
解答のポイント
問2、現役生はクリオーリョ、モノカルチャーは出てきても「共和国」「奴隷制の廃止」は出てこない。ブラジルが当初帝政で19世紀末まで奴隷制を続けていたことは有名なので、その逆をひねり出す。寡頭政治(オリガルキア)とか知ってると書きたくなるが字数による。
問4イ)、受験生は「東欧」「東ヨーロッパ」でOK。
問6、3行なので「反ユダヤ主義」「バルフォア宣言」を入れるのは厳しい。
問6~問8
問7 ア)ティトー
イ)彼が採用した外交政策。▲
ソ連と距離を置き西側との交流やアジアとの連帯など非同盟自主外交をとった。36字1行
問8 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ地域での住民間の対立の構図を簡潔に説明▲
解答のポイント
ティトーの「自主外交」はぶんぶんにはリアタイだが、受験生には厳しい。政井マヤ版高校講座世界史(2025年3月で終了)の最終回がユーゴスラヴィアの話で、西側資本を受け入れている様子が出てくる。
ティトーはパルチザンを指導しドイツから自力で独立を回復したことを権威にして、6つの共和国(北からスロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)、5つの民族、4つの言語、3つの宗教からなる連邦共和国を指導し、「自主管理社会主義」を標榜してソ連とは距離を置いた(コミンフォルムから除名、ワルシャワ条約機構に加盟せず)。
1985年の紙幣。セルビア、クロアチアではパブリックドメイン。

ティトーの死後は集団指導体制に移行するものの東欧革命で共産党の権威が低下、1990年の自由選挙でセルビアとモンテネグロ以外の共和国で民族主義色彩の強い政党が勝利し、1991年にスロヴェニアとクロアチアが独立を宣言、1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナも独立を宣言した。
これに対してセルビアとモンテネグロが新ユーゴスラヴィア連邦を形成し、ボスニアのセルビア人勢力を応援、セルビア人勢力による「民族浄化」という名のボシュニャク人(ムスリム)に対する虐殺行為が国際的非難を浴びた。1994年にはNATOがセルビア人勢力に対して空爆を実施した。
この間にセルビア内のアルバニア系住民が多いコソヴォが自治を要求、1998年にセルビア人治安部隊がコソヴォ解放軍に対して掃討作戦を展開した(コソヴォ紛争)。1999年にはNATO軍が国連決議がない中でユーゴスラヴィアを空爆した。
まもなく和平が成立してセルビア勢力はコソヴォから撤退したものの現地での対立は続き、2008年にコソヴォ共和国が独立を宣言したがセルビアとロシアは認めていない。
セルビア大統領のミロシェビッチはコソヴォ紛争でアルバニア系住民を虐殺したとして国際戦犯裁判所に提訴されたが、公判中に拘置所で死亡した。
この後新ユーゴスラヴィア連邦は2003年にセルビア・モンテネグロに改称、2006年にモンテネグロが独立、91年にはマケドニア(現北マケドニア)も独立していて、旧ユーゴスラヴィア連邦は完全に解体した。
地図 CC 表示 2.5
発展 スレブレニツァの虐殺
1995年7月ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に当時国連軍の管理下にあり「安全地帯」とされていたスレブレニツァでセルビア人のスルプスカ共和国軍によって推計8000人のボシュニャク人が殺害されました。これはジェノサイド条約が初めて適応された事案になりました。
ドイツがユーゴスラヴィアに侵攻するとクロアチアではファシスト政党がドイツに協力してクロアチア共和国を作り、強制収容所でユダヤ人だけでなくロマやセルビア人も虐殺しました。セルビア人勢力による「民族浄化」はこうした過去の対立が背景です。
「恨みに報いるに恨みをもってすれば永遠に恨みの尽きることなし」です。どこかでこの連鎖を断ち切らなければいけません。
2007年に行われた465人のボシュニャク人の埋葬。PyramidさんのAttribution。Released under the GNU Free Documentation License.CC 表示-継承 3.0