ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

水木しげるの妖怪百鬼夜行展@佐川美術館2022

はじめに

 ぶんぶんはこの夏休みに全国高等学校総合文化祭の引率で東京に行きました。ちょうど六本木ヒルズで「水木しげるの妖怪百鬼夜行展」が開催されていたのですが、時間の都合で観覧できませんでした。その後巡回展が滋賀県守山市の佐川美術館であると聞き、遅い夏休みを取って行ってきました。

mizuki-yokai-ex.roppongihills.com

 佐川美術館。名神高速栗東IC下車、琵琶湖方面へ約30分。JR守山駅からバスあり。現在はコロナ禍対策で常設展鑑賞もWEB予約が必要です。

www.sagawa-artmuseum.or.jp

遠景

展示室は撮影禁止

 本文は展示会の図録や水木しげるの書籍を参考にしています。

目次

 

展示内容

1 水木しげるの生涯

 水木しげる(1922~2015)は生後間もなく境港に移り、幼少期に祈祷師の妻で「のんのんばあ」こと景山ふさから不思議体験を聞かされます。

 太平洋戦争が勃発すると水木は招集され鳥取連隊に入営、パプアニューギニアのニューブリテンラバウルへ岐阜連隊の補充兵として送られます。

 古兵の理不尽なイジメに悩まされ、最前線で所属部隊が全滅、水木は九死に一生を得ますが帰還後はマラリアで生死の淵をさまよい、敵の爆撃で左腕を失いました。

画像はイメージ。pixivより

www.pixiv.net

 過酷な戦場で水木は「のんのんばあ」から聞かされた不思議体験をし、また現地人(トライ族)との交流の中で、大自然に生きる人の素朴な信仰や精霊の世界を知ります。

 ジャングルの中で突如ヌルッとしたものに前進を阻まれたそうです。入り口の展示。お触り禁止

 復員後に同じアパート(水木荘。ペンネームの由来)に住んでいた紙芝居作家の影響で紙芝居を作りはじめ、その後貸本漫画家に転身、実力を買われて1965年に少年誌にデビューします。

 戦前に流行した「ハカバキタロー」という怪奇・因果ものの紙芝居をヒントに水木は独自の鬼太郎物語を紙芝居で描きました。この鬼太郎は人間でしたが、貸本では人類以前に繫栄していた幽霊族の生き残りという設定になり、少年誌では鬼太郎は悪い妖怪を退治する正義のヒーローとして描かれるようになりました。

貸本版墓場鬼太郎

ゲゲゲの鬼太郎

 『ゲゲゲの鬼太郎』の大ヒットにより、怪奇現象の総称であった「妖怪」は超事象を具現化する「キャラクター」として人々に知られるようになります(下記リンクの京極夏彦の講演会を参照)。水木は連載を何本も抱え、「『妖怪いそがし』に取りつかれている」と言ったそうです。

 第一展示ではこうした水木の幼年・軍隊・漫画家時代の様子を過去の作品を抜粋しながら回顧していきます。

2 古書店で妖怪のネタ探し

 水木は妖怪を描くために古書店を回って妖怪に関する書籍を蒐集しています。第二展示では水木に影響を与えた古書が展示されています。

 江戸時代の鳥山石燕(1712~1788)は妖怪画本を数冊残しています。水木は「彼の妖怪はただ妖怪を描いて人を怖がらせる他の人のそれとは違い、自分の創作も交えて民衆に伝えられたものを絵にしている」と評しています。

 それは幼少期に「のんのんばあ」から超事象を伝えられ、戦場で不思議体験をした水木が妖怪を「形」にしようとした動機と通じます。

 『画図百鬼夜行』の河童の川太郎。

 日本の民俗学の基礎を築いた柳田國男(1875~1962)は晩年に妖怪に関する論文やエッセイを『妖怪談義』(1956年)にまとめました。妖怪から日本の精神性を読み解こうとした論考や巻末の各地の妖怪一覧は水木に大きな影響を与えました。

*そういえば『ゲゲゲの鬼太郎』第5期は都道府県別妖怪代表決定戦の途中で打ち切(以下略)。

 ぶんぶんが興味深かったのは井上円了(1858~1919)です。彼は東本願寺の教師学校の留学生として創立間もない東京帝国大学の哲学科に入学、卒業後東洋大学の前身である哲学館を創設するなど哲学を学問として開放しました。

 井上は「日本の近代化のために妖怪のような迷信は撲滅をすべき」と考えていて、各地の妖怪について調べ、それらは科学的・心理学的に説明できるとしました。その研究は『妖怪学』(1931年)にまとめられています。

 妖怪から日本の精神性を探ろうとする水木とは真逆の立場、まるで少年マンガのライバルですが、井上が蒐集した資料は貴重で水木も収蔵しています。

 ぶんぶんは科学でオカルトを否定してテレビのバラエティーで引っ張りだこだった大槻教授を思い出しました。

www.j-cast.com

3 水木しげるの妖怪工房

 第三展示では第二展示で紹介された妖怪の元ネタと水木しげるの絵の比較です。水木の生みだした妖怪は過去のイラストだけでなく民芸品や文字情報も元にしています。

 「砂かけ婆」は奈良・兵庫・滋賀に伝わる妖怪ですが、その造形はお隣の三重県伊賀市の上野祭に登場する「鬼行列」の面に水木が着想を得たとのことです。徳島県代表「こなきじじい」の造形も津市の唐人踊りの面が元とのことです。

 三重県がこの情報を町おこしに使おうと画策するかもしれません。

津市東京事務所長日記

www.tokyooffice.city.tsu.mie.jp

4 百鬼夜行

 第四展示は水木の妖怪を山・水・里・家と出現場所別に分類して展示しています。

 

おわりに

 『日本妖怪大全』によると、水木は妖怪画を描く理由を「絵にすることで妖怪をとらえ、コレクションにすること」、つまり水木の収集癖(古書店でかき集めた和綴本がそれ)と妖怪への興味が結びついた結果とのことです。

 

ポケ○ンの元祖?

 

 水木が妖怪を研究した結果、たどり着いた結論は「妖怪は目に見えない」ですが、水木は人々が語り継いできた不思議体験を「キャラクター化=可視化」することで人々の思いを後世に残そうとしたことには成功していると感じます。

 会期は11月27日(東京都の欠陥スピーキングテスト「ESAT-J」の日)までです。東京会場よりは小さめ(境港と調布の展示がない)ですが、コアなファンも鬼太郎初心者も楽しめる構成です。

お土産。コットン承知!

 

過去回

龍谷ミュージアム 京極夏彦の講演会

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

骸骨の妖怪はこれが元ネタ

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com