はじめに
世界史Bは公立高校では「教科書が終わらない問題」が発生します。一方入試問題は全範囲を網羅する「テーマ史」の出題が多いです。
今回はテーマ史の定番である移民についてです。論述では頻出なので、知識を整理しておきましょう。
なお文科省のポンコツ高大接続改革とは別チャンネルで世界史の高大連携は進んでいて、予備校各社の共通テスト予想問題集には移民の出題が散見されます。
実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社(詳説世界史、新世界史)の教科書と、帝国書院、浜島書店の資料集を参考にしています。
写真はすべてウィキメディアコモンズ、パブリックドメインからの借用です。
今回はこの問題集にインスパイアされています。 買いましょう(宣伝乙)。
目次
1 アメリカ合衆国への移民
①「旧移民」西欧・北欧が中心
植民地時代 イギリス、オランダ、スウェーデンなどからの移民
1845~49 (2 )から→(3 )飢饉 小農民の移民
1848年(4 )から 三月革命による政治的亡命者 農民の移民
カリフォルニアで金鉱発見。西海岸への移民が急増(5 )
1862年(6 )法 西部開拓促進
新たな労働力として(7 )人移民の増加
(9 )(苦力)として主に西海岸で労働に従事
大陸横断鉄道(1869年完成)の建設に従事
下層白人労働者との対立
1882年 移民法((10 )法) 中国人労働者の移民が禁止
補足
2010年のアメリカ合衆国の国勢調査によると、自分の出自をドイツ系(ドイツ語圏)と考える人はイギリス系よりも多いそうです。18世紀後半から19世紀前半にもアメリカに理想の共同体を作ろうとドイツ系の人々が移民しました。
「米国の移民」日本貿易振興会海外調査部 2003 年3 月より引用
https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05000661/05000661_001_BUP_0.pdf
こちらを参考にしています。
http://www.intcul.tohoku.ac.jp/ronshu/vol13/13nagatomo.pdf
イギリス系の教会(メソジストなど)が古くから酒の害悪を訴えていました。1917年にアメリカ合衆国がドイツに宣戦布告すると、ドイツ系アメリカ人の発言権が低下し(ビール業界はバドワイザーなどドイツ系が多い)、禁酒法が成立しました。
密造酒を処分する様子。出典 米国議会図書館、版画と写真部門
アイルランド系はドイツ系、イギリス系に次いで多い人々です。
1845年から1849年にかけてヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生しました。
アイルランドはクロムウェルの征服で地主のはほとんどがイングランド人やスコットランド人で、作った穀物は大ブリテン島へ輸出、農民は主食をジャガイモに頼っていました。いわゆる「飢餓輸出」です。
この期に及んでも地主たちは穀物を輸出したためアイルランドで飢餓が発生し、アイルランド人口の少なくとも20%から25%が減少し、10%から20%が島外へ移住しました。これはひどい。ヽ(`Д´#)ノ ムッカー!!
ダブリンに建立された飢饉追悼碑
リヴァプール出身のロックグループ、ビートルズはアイルランド人を祖先に持ちます。彼らの音楽にみられる反骨心は出自も関係しているのかもしれません。
ケネディはアイルランド系の移民の子孫で初の大統領というのは有名です。
中国系移民労働者は2018年センター試験世界史Aにグラフ問題があります。
②「新移民」東欧や南欧中心
1880年代(11 )系移民 統一後の農業不況や経済不安
ロシア系(12 )人 ロシアでの迫害(ポグロム)
日本 明治維新後に(13 )へ集団移民
中国人排斥法以降に移民が急増
1924年 (14 )法 日本人を含むアジア系移民が全面的に禁止
東欧・南欧の移民も国別割当制に
→ブラジルへの移民(家族単位)が急増
第一次世界大戦後:1920年代に反共産主義・保守的傾向が強まる
(15 )事件 無政府主義者のイタリア系移民
補足
ロシア系ユダヤ人については過去回参照。
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
私は幼少の頃『刑事コロンボ』を欠かさず観ていました。コロンボ警部が社会的に地位のある犯人のトリックを崩すときに「うちのカミさん」をはじめ親戚の話を引き合いに出しますが、家族の繋がりが強いイタリア系移民ならではです。
20世紀初頭のリトル・イタリアの様子。親族を頼って移住し、独自のコミュニティーを形成するのは日本に居住するブラジル人と同様です。
サッコ・ヴァンゼッティ事件は、1920年にマサチューセッツ州で発生した強盗殺人事件でサッコとヴァンゼッティの二名が逮捕・死刑になった出来事です。
二人は共にイタリア移民のアナーキストで、警察は明確な物的証拠がないまま二人を検挙しました。当初から偏見による冤罪との疑惑があり、各地でデモが行われるほどの大きな問題になりました。イギリスのハガキ(著者不詳。1921年)。
③ 第二次世界大戦後 アジアやラテンアメリカ
1965年 移民法の改正 有色人種に対する移民禁止政策が撤廃
1970年代以降 ラテンアメリカ系(16 )やアジア系移民が増加
補足
アメリカ合衆国の「ヒスパニック」はラテンアメリカ出自の人で、2010年には5,048万人を記録し、全人口の16.3%と黒人をしのぎます。出身国として最も多いのはメキシコ(約63%)で、プエルトリコ、キューバ(フロリダに多い)が続きます。
彼らは若年労働力が多く、スペイン語による独自のコミュニティーを形成し(ドイツ系は出自にアイデンティティはあっても英語を話す)、本国との関係を保ちつつ独自の価値観を持っています。
下層白人労働者を支持層に取り込みたいトランプ氏が、米国とメキシコとの国境に存在する「国境の壁」(約321キロ)を通行不能な壁にすると言ってたのは記憶に新しいところ。
空欄
1WASP
3ジャガイモ
4ドイツ
5ゴールドラッシュ
6ホームステッド
7中国
8北京
9クーリー
10中国人排斥
11イタリア
12ユダヤ
13ハワイ
14移民
15サッコ=バンゼッティ
16ヒスパニック
2 オーストラリアの移民
17世紀 タスマン(蘭) 18世紀 [1 ](英)の探検
18世紀後半 イギリスがオーストラリアを領有 流刑植民地
19世紀半ば 金鉱の発見 ゴールドラッシュ
自由移民に加えて中国人労働者、太平洋諸島民の移民が急増
白人移民労働者と中国人労働者の対立
1901年 移民制限法 白人以外の移民を禁止→(2 )主義
白人優先。アジア系や先住民(3 )を排斥
1973年 移民制限法が撤廃 他文化主義へ転換
ベトナム難民の受け入れ
2008年 ラッド首相
アボリジニに対する過去の差別的政策について議会で謝罪
補足
こちら
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
3 華人、インド人の移住
① 華僑・華人
宋・元:中国人商人が東南アジア方面で交易(ジャンク船)
東南アジアへの移住者が増加
明・清:(4 )政策 民間人の渡航禁止も海外に移住
経済関係が緊密な東南アジアへの移住(南洋華僑)
現地に華僑のネットワークを築く(チャイナタウン)
黒人奴隷の禁止で安価な労働力の需要拡大→クーリー(苦力)
東南アジア→マレー半島の(5 )鉱山
アメリカ→西海岸の農園 (6 )鉄道の建設
下層白人労働者との対立→1882年 中国人排斥法
オーストラリア→ゴールドラッシュ
華僑がオランダの製糖業を手伝って利益→現地人との衝突
経済的に成功した華僑は孫文らの革命運動を支援
ジャワ商人は華僑に対抗してイスラーム同盟を作る→民族運動へ発展
イギリスの支配:現地マレー人を優遇、華人、インド人は労働者
1963年 マレーシア独立 マレー人優遇政策
1965年 (7 )が分離独立 華人が反発
補足
通常「華僑」は中国に本籍がある人(戻ることが前提)、「華人」はその地域に根付いた人(中国系〇〇人)のような使い分けをします。
中国では、清朝の康煕、雍正、乾隆年間(1661〜1795 年)の安定した統治のもとで中国華南地方を中心に人口が増加し、1830 年代には一時的ながら 4 億人を超えます。
しかし19 世紀にアヘンの密貿易によって銀が国外流出すると物価の高騰が始まり、アヘン戦争とアロー戦争の賠償金支払いで財政は逼迫、さらに太平天国の乱と政治と経済が混乱します。北京条約で中国人の海外渡航が解禁されたことを機に大量の人口が海外へ流出し始めます。
彼らは主に広東、福建などの華南地域から汕頭、香港、マカオを経て、「幇」や「公司」と呼ばれる同郷組織を通じて世界各地へ移動しました。
横浜中華街 著者撮影
②インド人移民(印僑)
19世紀半ば、イギリスのインド支配強化。各地のイギリス領に移民
ペルシア湾→港湾建設
東南アジア→天然(8 )のプランテーション
南アフリカの鉱山労働や鉄道建設
[9 ]:弁護士として南アフリカで人権闘争
補足
インドではイギリス植民地政府によって再編されたカースト制の最下層であるタミル系住民を中心に、職を求める人々がパスポートなしで往来できるマラヤやビルマへ大量に渡来しました。ロヒンギャの難民もこれと関係があると考えられています。
さらに彼らはシンガポールを経由してマラッカ海峡周辺やタイ(シャム)南部のプランテーションや錫鉱山などへ再渡航していきました。
彼らは表向きは自由意志の労働者ですが待遇は奴隷並みで、中には借金などの理由で仲介業者から移動や就労の自由を奪われたり、中には詐欺や脅迫で連れてこられた者も多かったことそうです。今の日本も他人事ではありません。((((;゚Д゚))))
また英領内で共通の資格を有する専門職(事務官、医師、弁護士など)も、インドからの移民に多かったといわれます。ガンディーがまさにそれで、南アフリカで旅行中に有色人種という理由で一等車から追い出された話は有名です。
現在でもインド人季節労働者は世界最大を誇ります。IT産業では時差を利用してアメリカ合衆国が夜になったら続きをするなど、新しい就労形態も登場しています。
こちらを参考にしています。
東南アジアにおける人の移動――国民国家成立以前の人の移動ネットワークと国家的対応についての考察―― (ide.go.jp)
4 入試問題で演習
①共通テスト試行調査 2018年
問8 アジアから北アメリカ大陸への移民に関する次のメモ2 中の空欄( オ )と( カ )に入れる語句の組合せとして正しいものを,下の1 〜4 のうちから一つ選べ。( 8 )
「アジアからアメリカ合衆国への初期の移民の多くは中国人であり,1860年代の西部での( オ )のための労働力需要を支えた。中国人に続いて,日本人の移民も増加した。しかし,新たな移民に対する反感が強まり,1920 年代には,人種偏見を背景として, ( カ )移民法が制定された」
1 オ― 大陸横断鉄道の建設 カ― アジア系の移民を禁止する
2 オ― 大陸横断鉄道の建設 カ― 特定の居住地に強制移住させる
3 オ― パナマ運河の開削 カ― アジア系の移民を禁止する
4 オ― パナマ運河の開削 カ― 特定の居住地に強制移住させる
解答は1。パナマ運河は20世紀。「特定の居住地…」は1830年の先住民(インディアン)強制移住法。
②京都大学 2019年
13ア)1840~50年代の合衆国に向けた大規模な移民を送り出した地域とその事情
13イ)1840年代後半から移民を多く引きつけた合衆国側の事情
解答例
13ア) アイルランド。農民の主食であったジャガイモの病気による飢饉発生
13イ) 米墨戦争でメキシコから得たカリフォルニアで金鉱が発見され,ゴールドラッシュと呼ばれる人の移動が起きた。
14 東欧や南欧からの移民は国別に上限を定め、アジアからの移民は全面的に禁止した。
③東京大学2017年
1965年に独立国家シンガポールが成立した。その経緯について、シンガポールの多数派住民がどのような人々であったか触れながら、2行(60字)以内で説明しなさい。
解答例
1963年にマレーシアとしてイギリスから独立したが政府のマレー人優遇政策に住民の多数を占める華人が反発して分離独立した。59字
④大阪大学2012年
設問
19世紀後半から1920年代までの間にヨーロッパからは合わせて約5100万人が北米をはじめ南米やオセアニア地域に向けて移住したといわれる。だがそれに劣らずアジアからの移民が急増したのもこの時代である。なぜこの時期にアジアからの移民が急増したのか、その移民はどこに向かい、現地の社会にいかなる影響を与えたのか。180字程度
解答例
19世紀後半に欧米の植民地経済が発達する一方で奴隷制が廃止され安価な労働力の需要が高まった。他方中国やインドでは欧米の進出で政治や経済が混乱し、鉄道や汽船など交通・運輸革命もあって華僑や印僑として北中米やイギリス植民地に移民した。米や豪で彼らは白人下層労働者と対立し、前者は白豪主義、後者は1924年の移民法でアジア系移民が禁止された。東南アジアは複雑な民族構成となり民族意識も芽生えた。190字
*解答例は具体的な地名や事例はバッサリ切って、19世紀後半の欧米側のpull要因、中国とインドのpush要因に字数を割いた。現地社会への影響は対立だけでなくアイデンティティ形成にも触れたいところ。
東京大学の2012年の問題は同じ内容で字数が多いので見つけて練習しましょう。
以下次号