授業で教科書が最後まで終わらない受験生のために、センター試験の戦後史の頻出範囲について必要最低限を解説するシリーズ、第2回は東アジア編です。
*授業では映像を使って前のめりに語りますが、ネットでは控えめに。(´・ω・`)
前回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
凡例:
空欄:センターレベル、赤字:中堅私立大学レベル
[ ]:人名 ( ):事件、制度、地名
1 中華人民共和国
① 成立
1945年 日本降伏→双十協定(国民党・共産党)→内戦開始
共産党、解放区で土地改革実施
国民党敗北、[1 ]は台湾へ逃亡
人民政治協商会議(民主勢力の結集)→共産党が主導権
1950年 朝鮮戦争に(4 )軍出兵 土地改革法
(5 )条約→東側陣営へ
1953年 第一次五カ年計画
ソ連の技術援助による重工業化 農業の集団化(合作社)
解説
朝鮮戦争で「人民義勇軍」と名乗っているのはアメリカとの衝突を避けるための「言い訳」です(「秘書が勝手にやりました」みたいな)。しかしこの後毛沢東は「いつアメリカから核攻撃を受けるか」と恐怖にさいなまれます。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
② 孤立化と権力闘争
1956年 フルシチョフのスターリン批判、平和共存政策→中ソ論争
1958年 第二次五カ年計画…(6 )運動
農業の集団化 (7 )の設立
1959年 チベット反乱 [8 ]インドへ亡命
ソ連、中ソ技術協定を破棄、技術者の引揚げを通告
[9 ]国家主席就任 調整政策
1960年代 中ソ対立が公開論争に発展
1962年 中印国境紛争
1964年 核実験成功
1966年 プロレタリア(10 )
(11 )兵結成
劉少奇や鄧小平を「(12 )派」「走資派」と呼んで排除
解説
フルシチョフがスターリン批判と平和共存政策を打ち出すと、スターリン路線をとる毛沢東は「梯子を外された」格好になります。(`皿´)ムッキー!
孤立感を深めた毛沢東は「独自で社会主義を実現したるわい!」と「人海戦術」で工業化を目指します。農民は手製の溶鉱炉を作って鉄を生産しますが、当然使い物になりません。
また農業の集団化は人々の生産意欲を失わせ、華北の旱害と華中・華南の水害が加わって2000万人以上の餓死者を出します。(o´β`o)グゥー
批判を受けた毛沢東は国家主席を退き(党の首席には残る)、代わって国家主席となった劉少奇は、鄧小平とともに「国家に供出して残った農産物を自由市場で販売してよい」など資本主義の一部復活を認めて、経済は回復します。
国際的だけでなく国内的にも孤立感を深めた毛沢東は面白くありません。そこで権力の回復を狙って、イデオロギー闘争を仕掛けます。
劉少奇らを政策ではなく「資本主義に走り、実権を奪おうとしている分子」と批判し、日常生活から社会主義的であるべきだと主張します。
*入試改革賛成派が反対派の「50万人規模で記述式採点無理」「利益相反だ」に反論できず「四技能は喫緊の課題だ」「AIに職を奪われる」と理想を並べるのと同じ?(´・ω・`)
紅衛兵は 「造反有理(反逆には道理がある)」と叫び、『毛沢東語録』を振りかざしながら(中国に行くと土産で売ってます)、「四旧(古い思想、文化、風俗、習慣)打破」として指導者や知識人を攻撃し、文化財を破壊しました。
③ 多極化と市場経済化
1971年 国連代表権が交替 キッシンジャー訪中
1978年「4つの現代化」(農業・工業・科学技術・国防)
1979年 日中平和友好条約 中越戦争
[15 ]時代(1980~90年代末)
鄧小平中央軍事委員会主席・胡耀邦総書記・趙紫陽首相(のち総書記)
1989年 ゴルバチョフ訪中 関係正常化
第二次(17 )事件:学生・市民の民主化要求
解説
アメリカ合衆国はベトナム戦争の泥沼化を打開するため中華人民共和国に接近します((U^ω^)わんわんお!な日本は慌てて平和条約締結)。これを機に中華人民共和国の国際的孤立は解消します。
毛沢東が死去すると「四人組」が逮捕されて文革は終了、その後権力を掌握した鄧小平は共産党一党独裁を維持したまま、沿岸部に外国資本を誘致し、山間部の安価な労働力を用いて市場経済化を進めます。
しかし経済が自由化すれば政治の民主化要求も発生します。1989年には民主化に理解があった胡耀邦の死去とゴルバチョフ訪中が契機になり、学生や市民を中心に大規模な民主化要求運動が起こりますが、人民解放軍に鎮圧されます。
有名なシーン
④ 経済成長と大国化
周辺諸国との関係正常化
モンゴル(90)ベトナム(91)韓国(92)
1992年 鄧小平の南巡講話…社会主義市場経済の拡大
1997年 (19 )返還 一国二制度
1999年 マカオ返還
解説
中華人民共和国は第二次天安門事件の直後は国際的に孤立しますが、周辺諸国との関係改善を進め、1992年には鄧小平がさらなる改革・開放政策を進めるよう指示、資本主義化が加速します。
こうして国内では共産党一党支配が継続し、民主化要求やチベットやウイグルの反発を抑え込み、国外では積極的な投資やシーレーンの確保など、矛盾をはらみながら経済と外交を両輪に大国化を志向しています。
香港の「一国二制度」は、清朝が呉三桂らをいったん王に封じておいて、後から取り潰そうとしたのを思い出します。また江沢民時代の反日盛り上がりは「共産党に反対するとヤバイけど反日はスルー」という、一種の「ガス抜き」に見えます。
参考図書
空欄
1 蒋介石
2 毛沢東
3 周恩来
4 人民義勇
5 中ソ友好同盟相互援助
6 大躍進
7 人民公社
8 ダライ=ラマ14世
9 劉少奇
10 文化大革命
11 紅衛
12 実権
13 珍宝島
14 ニクソン
15 鄧小平
2 朝鮮半島
① 分断
分立:南 大韓民国(1948.8)
大統領[20 ] 首都ソウル
北:朝鮮民主主義人民共和国(1948.9)
首相[21 ] 首都ピョンヤン
朝鮮戦争(1950~53) 北側からの侵攻で勃発
経過:北、釜山付近へ→国連軍出動(実態は米軍)→中国国境付近へ
結果:(23 )で休戦協定成立(1953)
解説
李承晩は上海で結成された大韓民国臨時政府(地下活動中心)に参加し、戦後はアメリカの支援で大統領に就任します。建国の時に竹島を自国の領土とした「李承晩ライン」のが今日の領土問題の原因です。
一方金日成は抗日パルチザン活動家のペンネームでしたが、ソ連の支援で首相となった金日成は若者で、「(;゚Д゚,)ェェェェエエエエエ工工 それ別人ちゃう?」と感じた人も多かったそうです。
朝鮮戦争の経過は頻出です。この「国連軍」は国連憲章第7章の手続きとは異なる派兵ですが、国連は国連軍司令部の設置や国連旗の使用を許可しています。
② 大韓民国
李承晩の失脚…国民のデモで退陣(1960)
[24 ]…軍部のクーデタを指導(1961)→大統領就任(63)
ベトナム派兵(64) (25 )条約締結(65)
金大中事件(73)政府内部の高官により暗殺(79)
80年に大統領に就任
慮泰愚…ソ連と国交樹立(1990)、国際連合に北朝鮮と同時加盟(1991)
中国と国交樹立(1992)
金泳三…32年ぶり文民大統領
[27 ]…南北首脳会談を実現(2000)、太陽政策
解説
金大中は民主化運動のリーダーでしたが、講演のために日本に滞在しているときにKCIA(韓国の諜報機関)がホテルに押し入って彼を拉致し、本国に連れ帰りました。明らかに主権侵害です。
朴正熙は日韓基本条約を批准して国交を正常化し、ベトナム戦争に韓国軍を派兵して日米両国の経済支援を得、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を実現します(アジアNIESの一角)。いわゆる「開発独裁」の典型です。
彼はその強権的な姿勢のため暗殺されますが、最初の暗殺事件では二番目の妻が犠牲になります、その子どもが朴槿恵前大統領です。
光州事件は映画の題材として何度も取り上げられています。最近だとこれ。
この映画の主人公の兄が光州事件の生き残りみたいな感じを醸し出していました。
金日成…1950年代 千里馬思想
[28 ]…1994年に後継者に。南北首脳会談(2000)
金正恩…2012年に後継者
3 台湾
[30 ]…民進党、初の非国民党総統(2000)
解説
1990年代に台北に旅行に行ったら博物館は大陸文化押しでした。台北の故宮博物院には蒋介石が持ち出した文物が展示されています。こうした文物が中華の正統な後継者の証ということでしょうか。
日本が敗北すると中華民国が台湾に進駐しますが、47年に住民とのトラブルを契機に大規模な抗議デモが発生します(二・二八事件)。政府はこれを武力で鎮圧します。
台湾に逃れて中華民国を維持した国民党に対して中華人民共和国は攻撃を加えますが、1950年に朝鮮戦争が発生、トルーマンは台湾海峡にアメリカ海軍の第7艦隊を派遣します。
朝鮮戦争に戦力を割くことになった中華人民共和国は台湾を制圧することができず、一方蒋介石は1954年に米華相互防衛条約を結び、現状が固定化されます。
空欄
20 李承晩
21 金日成
23 板門店
24 朴正煕
25 日韓基本
26 全斗換
27 金大中
28 金正日
29 李登輝
30 陳水扁
続きます。