国立大学の論述問題を解説しながら、大学が「高校生のうちにつけておいて欲しい」と思っている歴史的思考力について考えます。
本日は九州大学です。文学部のみの出題で、東京大学と構成が似ています。受験生にはハードな出題ですが、九州のみなさんにとって九大は特別な存在と聞きますので、しっかり準備して臨んでください。
問題はこちらから入手してください。大問2の資料問題はアップできないので各自で見てください。
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九州大学 2019年
1
設問:17世紀半ばから19世紀末にかけて、ヨーロッパの国際体制はどのように展開したか。具体的な体制の名称とその特徴を挙げながら。500字
ヒント:国際社会は国家間の関係とパワーバランスの上に成り立っているが、それは常に流動的。近世ヨーロッパでは主権国家体制が作られてこの国際体制が確立し、いくつかの戦争や革命に直面するなかで動揺と均衡回復に向けた再編を繰り返す。
キーワード:列強 三十年戦争 ナポレオン 自由主義 ナショナリズム メッテルニヒ クリミア戦争 プロイセン=フランス戦争
解答メモ
近世の主権国家(実質は○○家の王朝)が形成される
↓ 動揺
17世紀 三十年戦争 ウェストファリア条約で主権国家体制 王朝の勢力均衡
↓ 均衡
18世紀末~ ナポレオン 国民軍が王朝の身分制軍隊を破る 国民国家の必要性
↓ 動揺
19世紀 メッテルニヒが主催するウィーン会議 ウィーン体制で列強4国の勢力均衡
↓ 均衡
↓ 動揺
↓ 均衡
ヨーロッパの憲兵ロシアがクリミア戦争で英仏にボコられウィーン体制崩壊
↓ 動揺
1860年代 イタリア統一戦争、プロイセン=フランス戦争 南北戦争
国民国家の形成
↓ 動揺
1870年代 ビスマルク外交 不況で英仏が植民地を囲い込む
↓ 均衡
1890年代 ヴィルヘルム2世の世界政策
↓ 動揺
解答例
17世紀の三十年戦争は主権国家間の最初の戦争となり、ウェストファリア条約によって神聖ローマ帝国は有名無実化し、主権国家は大小にかかわらず対等とされる主権国家体制が成立し、王朝間の勢力均衡が図られた。これはナポレオン戦争によって崩壊するが、戦後処理のウィーン会議ではオーストリアのメッテルニヒが中心となり正統主義とイギリスとロシアを中心とする列強の勢力均衡によって自由主義を封じるウィーン体制が成立した。しかし自由主義を実現するため国家建設を目指すナショナリズムが高揚し、1848年にはヨーロッパ各地で革命が発生しウィーン体制は破綻した。革命は失敗するが50年代には強力な指導者が国民軍を整備して国民国家を建設する動きが加速、クリミア戦争で英仏が改革の進まぬロシアを破ってウィーン体制は完全に崩壊し国際秩序が流動化した。イタリアが統一され、プロイセン=フランス戦争の結果ドイツ帝国が成立して国民国家が出揃うと、ビスマルクはフランスを孤立させるために列強と同盟を結び国際会議を主催するなど戦争を抑止する外交を展開したが植民地獲得で遅れを取り、19世紀末にヴィルヘルム2世が世界政策に転じると英独の対立が先鋭化した。499字
*ポイント:
東京大学の2006年「近代以降のヨーロッパにおける戦争の助長・抑制傾向の具体的状況」の類題。あちらは三十年戦争・フランス革命・第一次世界大戦の3つ、こちらは19世紀末までなので、ヴィルヘルム2世の世界政策までが射程。
解答例は、近世の王朝による主権国家体制から近代の国民国家による主権国家体制という「中身のチェンジ」と、戦争による流動化と国際会議による秩序再建を組み合わせた。
国民国家の重要なパーツである国民軍はフランス革命で生まれ、ナポレオンが率いて王朝の軍隊を蹴散らした。自由と平等のため、それを保障する国家のために軽装で痛みに耐える国民軍があってこそナポレオンの中央突破戦術は可能だった。
大陸最強の陸軍国を自認するプロイセンはフランスに完敗したことによってプライドを傷つられ、農奴解放、軍制改革、ドイツ人意識の高揚につながる。
他方「ヨーロッパの憲兵」を自認したロシアはツァーリズムのもとで国家統合が遅れ、クリミア戦争で英仏の国民軍に完敗し、1860年に農奴解放令が発布される。
なおウィーン体制の完全崩壊は、各教科書ともクリミア戦争としている。
また1848年革命はフランス革命のパターン、特権身分以外が「連合」(アライアンス)して革命で国民国家を建設することを目指したが、フランス二月革命にみられるように資本家と労働者間の対立によって革命は破綻する。
各階級が政権を作る力がない中、彼らの利害を調節し、外交的成功でナショナリズムをくすぐりながら、国民の支持のもと独裁を行う政治家が強権を発動して国民国家を建設する。これが「ボナパルティズム」。
戦争を身分的な家業とする武士と、農民を徴兵した国民軍との戦いについては『ラスト・サムライ』を観るとよいかも。
1848年革命についてはこの2冊。良知力さんは一橋大学OBで入試問題にベタで出題されました。
向う岸からの世界史―一つの四八年革命史論 (ちくま学芸文庫)
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夢と反乱のフォブール―1848年パリの民衆運動 (歴史のフロンティア)
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2
資料は問題を参照
問1
(1)資料1のグラフのうちイギリスの小麦価格の推移をしめすものはどちらか
(2)その判断の理由 資料2または3にも触れて 180字以内
解答例
(1)A
(2)資料1のグラフAは16世紀半ばから17世紀半ばにかけて価格が上昇している。ヨーロッパではこの時期に人口が増加し、また新大陸からの銀の流入によって物価が上昇する価格革命が起きている。このことよりAがイギリスの小麦価格と判断する。また資料3では中国では16世紀末に断続的に穀物価格が下落しているとある、グラフBはこの時期に大きな変化がないので中国の米価と判断できる。178字
*ポイント:価格革命に関するグラフ問題。理解できていれば簡単。
問3 資料2に記される中国への新大陸銀の大量流入が16世紀後半になって本格的に進展する理由。中国内部における銀需要の発生とは別に大量の銀が国外から流入することを可能にした背景について。100字以内
解答例
長江下流で商品作物の栽培が盛んになり、綿織物や生糸が生産され、陶磁器も大量に生産された。この時期に海禁が緩和され、これら商品を購入するためにアカプルコからマニラ経由で新大陸の銀が中国に流入した。97字
問4 資料3の下線部D「銀が少なければ穀物を安く売って銀を獲得してこれを役所に納めるほかない」では当時中国の民間で銀が必要不可欠とされた理由について説明している。具体的にどのような事情があったのか 50字以内解答例
地租と人頭税を一括銀納する一条鞭法が施行され、日常銀を使わない農民は納税の際に銀を買う必要があった。50字
*ポイント:グローバル問題の定番。郷紳は農民たちが納税するときに銀の値段をつり上げて安く穀物を買いたたいたとされる。
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問5 (1)明の立場からは外患となった(北方・東北方の軍事地帯の)当事者を選べ
(ハ)アルタン=ハン (ヘ)エセン=ハン (リ)ヌルハチ
(2) ① 徽州商人:ハ ② 山西商人:ロ
(3) 郷紳
*ポイント:地図問題パート。(1)は地図レス地図問題、(2)は地図から安徽省、山西省の位置を選ぶ。東大と京大の「マンチュリア」「中国東北部」など、地名や東西南北から地図が連想できて「この辺?」と特定できる力は世界史では必須。
山西商人は北方防衛地域に兵糧を運搬し、その代償として塩の販売権を得て巨万の富を築いた。徽州商人も塩の販売を手がけ、地縁・血縁を利用した遠距離貿易で大きな利益を上げた。
3
問1 アレクサンドリア
問2 ○西ゴート王国
問3 鮮卑
問4 (1)グプタ朝 (2)『仏国記』
問5 ○⑤(トルコ系民族の6~7世紀の活動地域:モンゴル高原)
問6 両シチリア王国
問7 ○耶律大石
問8 ○イブン=バットゥータ
問9 鄭和
問10 ラス=カサス
問11 ブール人
問12 ○興中会
問13 パレスティナ解放機構
問14 ▲多文化主義
*ポイント:
本ブログで紹介した紛らわしいもの、ややこしい漢字もの、抵抗もの、グローバルもののオンパレード。しかも問14はこのブログで閲覧回数の多いオーストラリアの多文化主義。ズバリ的中!です(受験生はネット見るよりは勉強した方がいいですよ)。
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
まとめ
入試では世界史の中の「グローバル化と帝国」、特にヒトやモノの移動が取り上げられることが多いです。教科書の関連トピックについて確認し、私立大学も含めてそういうテイストの過去問をたくさんやりましょう。
また九州大学は「大学入学共通テスト」の試行調査「複数の資料を読んで、ヒントに基づいて考察する問題」をこれまでも出題しています。大阪大学、慶應義塾大学の経済学部に類題があるのでやりましょう。
過去問解説のまとめはこちら
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
追記
九大受験のお土産はこちら。ツベルクリンさんは添乗員で社会科の免許も持っているそうです。旅の話題、古い雑誌の解説が勉強になります。