ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

フィールドワーク 大津事件について考えるその2

 「司法の独立」の話も、当時のやりとりを詳しく見ると違う側面が見えてきます。

 事件の電報を受けて東京の政府は大騒ぎになります。津田三蔵をどういう罪で処罰するかが問題になります。この事件に関係する当時の刑法は(現代語に直してあります)次の通りです。

 

1 第116条 天皇、皇后、皇太子に危害を加えれば死刑(大逆罪)

2 第292条 計画的に人を殺すと死刑(謀殺罪)

3 第294条 故意に人を殺した場合は無期徒刑(故殺罪)

4 第299条 人を殴打創傷して死に至らしめたら重懲役(殴打創傷罪)

5 第301条 けがによる休業が20日に至らない場合は1年以下の重禁錮

6 第78条  知覚精神の喪失によって責任能力がないと罪に問わない

7 第112条 未遂の場合は刑の一等ないし二等を減じる(未遂罪)

8 第2条  罪刑法定主義

9 第3条  法律の不遡及

 

 

 司法省は2の7(謀殺罪の未遂)と考えます(4はないという会話や、家宅捜索令状は2の7で取ったという記録があります)。

    一方内閣はロシアとの外交問題に発展するのを恐れ、松方正義首相は「外国皇太子も刑法の皇太子に当たる」として1(大逆罪)の適用を大審院長の児島惟謙に迫りますが、児島は「法律的には1は日本の天皇等」とつっぱねます。

    そこで内閣は今日から1を外国の皇位継承者にも適用できる(法律の遡及適用で9の違反です)と言いだし、「天皇の思し召し」を根拠に、児島が「大審院長の私でさえ担当判事の判決に口出しできない」というので、直接担当判事に掛け合って1の適用を決めます。

 

 児島は反発し、ニコライの見舞いのため京都に滞在する天皇に拝謁して「注意して速やかに処分すべし」というお言葉を頂いて、担当判事に「司法の独立を放棄する方がむしろ天皇の権威を辱めることになる」と翻意を促します。

 

 ここまでは教科書にある話ですが、橋爪館長が発見した児島惟謙の書簡(帝国大学の穂積教授に秘密の書簡を送っていて、穂積家が保管していました)によると、児島は内閣に「刑法に則ると死刑は宣告できない、どうしてもというなら憲法第8条に則って天皇の緊急勅令を発動してください」という工作を行っているようです。

    そんなことをすれば天皇の権威に泥を塗るのは明白です。内閣はついにあきらめ、5月27日に大津地裁で開催された大審院法廷では、津田三蔵に謀殺罪の未遂で罪一等を減じ無期徒刑(労働付き無期懲役)の判決が下されます。

 

 確かに児島惟謙は「司法の独立」を守ったのですが、「自分の組織を守るためにジョーカーを引きたくない」という司法や内閣の思惑が交錯した(警察も当初6を根拠に事態を収拾しようとした形跡があります)、というのが橋爪さんの説です。

 しかし「津田三蔵は当日の朝に皇太子のそぶりに逆上し、昼までに計画を練って謀殺を企てた」という検察の主張(うーん、どこかで聞いたような)は、今の裁判なら罪状で争う余地があります。ひょっとしたら司法の内閣に対する配慮?とか思ったりもしますが推論の域を出ません。

 

 大津事件の「記念品」を滋賀県が保管しているのは、事件後にロシアの将校たちが大津を「聖地」として訪れ(おっと、滋賀県にはアニメの「聖地」もあります)、手当に使用された血染めのハンカチに接吻したり、遭難の場所に教会を建てようとする動きがあったりして、それはまずいということで、ハンカチ類を手当が行われた家と土地ともども滋賀県が買い取り、証拠品のサーベルや調書と共に保管しているそうです。

 

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血痕が生々しいです(協力 琵琶湖文化館

 

 ちなみにシベリアでニコライ2世の遺骨らしきものが発見されたときに、このハンカチからDNAを検出して照合しようとしたらしいですが、色々な人がべたべた触っていたので失敗したらしいです。

 その後津田三蔵は釧路に収監され、自殺しないように24時間体制の監視を受けますが、この年の9月29日に肺炎のため亡くなります。お墓は藤堂藩の墓所でもある伊賀市寺町の大超寺にあります。墓の後ろに説明書きはありますが訪れる人は少なく、ひっそりと眠っています。

 

 大津市歴史博物館の橋爪修様、琵琶湖文化館学芸員の上野吉信様、意義のある研修ありがとうございました。大津事件のパンフレットは博物館で閲覧可能です。収蔵品の紹介のサイトは下です。関心のある方は是非訪れてください。

www.biwakobunkakan.jp