昨日と今日は国公立大学の前期試験です。私の学校でも今日は何人か登校して、後期試験に向けて小論文の添削指導を受けていました。
この時期高校でよく使われるのが「最後まであきらめるな」という言葉です。受験の大詰めを迎えて、担任が生徒に対して受験をし続けるよう促すために用いられます。
センター試験の点数が低かったり、3月になっても進路先が決まらないと生徒は弱気になります。気持ちを鼓舞することは必要ですが、私は「あきらめるな」と言う前に「どうすれば3月になっても強い意志で受験し続けられるか」を生徒に示すことの方が重要だと考えます。
今回は私の好きでない声かけの四つ目、「最後まであきらめるな」を検証していきます。
追記 2/18 少し文言をマイルド?にしました。
さて受験において「あきらめる」とは「志望校」の受験をあきらめることです。
志望校を決めるときの条件は3つ、1「したいこと」、2「学力」、3「家庭的制約」です。1は医師のように大学が限定されるものから「大学でしたいことを見つける」まで様々です。2は1を実現できる学力相応の大学、3は2のうち学費や立地場所など経済面で相応な大学です。
基本は1→2→3の順で志望校を絞りますが、2や3が優先されることもあります。第一志望が決まったら、それに類似しかつ合格可能性がより高い第二志望や第三志望を選びます。
納得した志望校であれば「最後まであきらめるな」と言う必要はありません。担任が生徒に対して身の丈にあった志望校選択を支援し、必要な戦略を立て適切なトレーニングをすれば、生徒は最後まで受験します。
私立専願なら、第一志望の大学について可能な受験方法全てに出願し、併願校を押さえて本命に合格するまで受験し続け、だめなら浪人か併願校かを選びます。
とにかく国公立に行きたいなら、自分の実力とセンター試験の持ち点から受験校を全国に広げて少しでも合格可能性の高いところを探し、三月の中期、後期試験まで受験します。
問題は次のような場合です。
第一志望が神戸大学の経営学部で、第二志望が同志社大学の生徒がセンター試験で思うような点が取れず、担任に勧められて国立の前期は滋賀大学、中期は下関市立大学、後期は兵庫県立大学に出願したとします。
この3大学は経済系の老舗ですが、生徒の志望順位では同志社大学の下です。私大の合否は国公立前期試験の前に判明するので、合格したらそれ以上受験する意味がないので受験を放棄することがあります。
理系だと前期不合格、通える中堅私立大学に合格、後期で出願した遠方の地方国立大学工学部を受験するかで担任、生徒、保護者の間でもめます。
担任がこの生徒に「最後まであきらめるな」と私立より志望順位の低い国公立大学(しかも遠方)の受験を勧めても生徒の士気はあがりません。
そこで「国公立至上主義」を貫く進学校は、国公立大学の合格者数を増やすためではなく(笑)生徒の将来を考えて、あの手この手で生徒に国公立大学の出願を促します。
「国公立大学は研究費が潤沢」「少人数教育だ」「○○大学は地方だけど△△には定評がある」はよい方で、「後期は欠席者が多いからとにかく出せ」「大阪で試験があるから飛行機使わなくてよい」と、生徒に「出願させる」「受験に行かせる」ことに情熱を燃やす先生もいます(「合格させる」指導も熱心にしてください!)。
さらに「私立に受かるとやる気を失うから出願するな」「AOや推薦で私立に合格した生徒は就職で不利」など私大ネガティブキャンペーンを張る先生もいます。
おそらくこれが根拠
ここまでくれば「先生は国公立大学の合格者数を稼ぎたいだけ?」と勘ぐられても仕方ありません(私立の推薦を悪く言う先生も国立の推薦は勧めます)。
先生が国公立大学の良さを理解せずにただ「国公立は授業料が安い」と勧めた場合、そこへの合格が難しくなれば生徒も保護者も「通える私大」を志向します。
そうなってから国立の良さを慌てて言い出したり(「学生寮なら安くつく」とまだ学費の話をしたり)しても保護者の気持ちはそう易々と変わりません。
私は国公立大学、私立大学双方の良さをきちんと生徒に説明します。ネガキャンに頼る指導をされると迷惑なので慎んでほしいです。
前置きと愚痴が長くなりましたが、「最後まであきらめない」メンタル育成方法を1「目標設定」、2「取り組み」、3「目標設定前にしておくこと」、4「だめ押し」に分けて考えます。(続く)