ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

休校中の自学自習プリント(中国史、制度史・経済史編2)

 休校中のひまつぶし復習プリント、第2回は中国の制度史と経済史、魏晋南北朝から隋唐五代までです。

 これは「ひつまぶし」(゜д゜)ウマー

www.miyakagi.com

前回

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 

4 三国時代五胡十六国時代南北朝時代

(i)魏晋南北朝

首都:魏、西晋洛陽、呉:[G    ]、蜀:成都

   北魏:[H    ]→洛陽

   東晋南朝宋・斉・梁・陳):[I    ]

官吏任用制度

 魏:(29      )

  中正官が豪族を9つに等級化。等級に応じて官僚に採用

  →豪族が門閥貴族

土地政策

 魏:(30    )制(荒れ地を農民に割り当て)

 西晋:(31      )法(土地所有の制限と給田)

 北魏鮮卑族の拓跋氏の王朝。

  孝文帝:(32    )制:土地の割り当て。奴婢や耕牛にも給田

      (33    )制:自治組織

 西魏:(34     )制:給田した農民から徴兵

 東晋土断法華北からの流民を現住地で戸籍作成

江南:華北からの人口流入→長江中・下流域の人口急増

   →流民を使って貴族が開発を進める 

補足

  三国志演義ファンは世界史の先生がその手の話をすっ飛ばすのでガッカリすると思います。(´・ω・`) この時代は血で血を洗う争いの中で次の時代につながる重要な変革が行われます。

 華北では戦乱で多くの農民が南へ逃亡する一方、華北に残った豪族は土地や私有民を囲い込んで自立します。九品官人法はこうした豪族(未公認有力者)を貴族(公認有力者)にして、政治に協力させようとします。

  また戦乱で放棄された農地を農民に耕作させて王朝の収入にするために均田制が採られます。ただ「農民一人当たりこれだけ土地を割り当てる」というと貴族の大土地所有とバッティングするので、「奴婢や耕牛に土地を割り当てる」ことで貴族に配慮したと考えられます(諸説あり)。隋代になると「官人永業田」という制度ができて、裏技?は必要なくなります。

 こうして華北では鮮卑をはじめとする遊牧民漢人知識人・貴族と連合して支配層となり、多様な人々を統治する試みが重ねられ、隋唐に受け継がれます(いわゆる「拓跋国家」)。

 一方江南に逃げた貴族たちは流民を囲い込み、彼らを使って農地の開発をします。これがのちに大運河によって華北とつながります。

 なお4~5世紀は、ヨーロッパではフン人とゲルマン人中央アジアではエフタル、日本列島では大乱と地球規模で生存競争が行われた時代です。

陶淵明の『桃花源記』。ほんと、現実逃避したくなりますよね。YouTubeより。


桃花源記(とうかげんき)

 

5 隋唐古代帝国とその解体

(j)<  >文帝(楊堅)581年 北周から禅譲。都:[J    ]

 南北朝時代の諸王朝の制度を導入・発展

  均田制・租庸調制・府兵制

  九品官人法→(35    )…試験による人材募集

  郡県制→州県制

 煬帝… (36     )の完成→開発の進展した江南と華北を結合

(k)<   >高祖(李淵) 618年建国。都:[K     ]

中央

 律令:律(刑法)・令(行政法民法)・格(補足)・式(施行細則)

 官制:三省:(37    )省…詔勅などの草案作成

       (38    )省…詔勅の審議 差し戻し(封駁)

       (39    )省…詔勅の執行,六部が所属

   (40    ):吏(官吏任用)・戸(財政)・礼(文教・外交)

          兵(軍事)・刑(司法)・工(土木)

   (41      )…行政監察

地方統治:(42     )制

土地制度:(43     )制…成年男性に土地を均等支給

税制:(44       )制…穀物・絹布などの税と力役

兵制:(45     )制…均田農民が兵役負担 折衝府で訓練

周辺部:(46    )…現地の主張に統治を委ねる(羈縻政策

→貴族の子弟は蔭位の制 高級官僚の大土地所有公認(官人永業田)

→(47     )を所有→隷属農民が耕作

8世紀初め~ 諸制度の崩壊

均田制→荘園制

府兵制→(48     ) (49      )が辺境防備の任務

租庸調制→780年,(50     ) 楊炎の献策(徳宗の頃)

     現在地に資産に応じた課税 夏・秋2回の課税(銭納or現物)

安史の乱以降はウイグル華北に進出

→内地にも節度使が置かれ、軍政両方を掌握→(51     )

唐王朝は江南の地主の協力や塩の専売で命脈を保つ

ムスリム商人の来航:広州に貿易管理機関の(52      )設置 

          蕃坊(外国人商人の居住地)の設置

 (l)<     >時代

907年 朱全忠後梁を建設。以後、後唐後晋後漢→後周

首都:後唐は洛陽でそれ以外は[L     ]

節度使の(53   )政治…貴族が没落

新興地主層 (54    )の台頭

 荘園の直接経営。小作人(55   )から小作料徴収

 補足

 均田制・租庸調制・府兵制・州県制(郡県制が広すぎるのでコンパクトにした)・科挙と唐の有名な制度は隋の楊堅の時代に定まります。

楊堅(文帝)。閻立本の画。ウィキメディアコモンズパブリックドメインの写真。
f:id:tokoyakanbannet:20090222153523j:plain

 科挙南朝の貴族を政治参加させる、大運河は江南の物資を政治の中心である華北に運ぶ、と隋代に「制度の北、文化と経済の南」の統合が図られます。

大運河。「世界の歴史まっぷ」をお借りしています。立命館大学で大運河の名前が出題されていました。華北と江南を「通じる」のが「通済渠」と記憶。

f:id:tokoyakanbannet:20200317213709p:plain

sekainorekisi.com

 

 均田制が実際にはどのように実行されていたかは一次史料が不足していて不明な点が多かったのですが、20世紀になって発見された敦煌文書やトルファン文書によると給田や返田がちゃんと行われていた形跡があります(支給量には地域差あり)。

 この律令制度が崩れる、いわゆる「唐宋変化」は入試のハイライトです。人(世帯のの成人男性)への課税から世帯の資産への課税へと変化します。

 五代十国時代に従来の貴族が滅んで形勢戸が台頭します。貴族は隷属民を使って荘園を経営していましたが、形勢戸と佃戸の関係は隷属的なものから契約関係まで多様だったと考えられています。形勢戸が科挙を通じて官僚となり、宋の政治を支えることになります。

 なお官吏の任用は吏部の仕事ですが、科挙の実施は礼部の仕事です。

空欄

G 建業 
H 平城 
I 建康 
J 大興城 
K 長安
L 開封 
j 隋
k 唐
l 五代十国

29 九品中正
30 屯田
31 占田・課田
32 均田
33 三長
34 府兵
35 科挙
36 大運河
37 中書
38 門下
39 尚書
40 六部
41 御史台
42 州県
43 均田
44 租調庸
45 府兵
46 都護府
47 荘園
48 募兵
49 節度使
50 両税
51 藩鎮
52 市舶司
53 武断
54 形勢戸
55 佃戸

 

続く