毎年恒例、難関国立大学の世界史の問題を解説していきます。
ネットの問題を見てから解いているので解答速報というには遅すぎです。高校の教科書レベルで高校生が書ける解答例にしていますが、大人の知恵は入っています。
前回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
第2回は名古屋大学です(文学部と情報学部のみ)。「受験生の何を試したいのかはっきりしない」と毎回愚痴っていますが今年はどうでしょうか。(´・ω・`)
問題はこちらから
昨年度
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凡例
◎:必答 〇:しっかり取る △:やや難しいができると大きい
▲:難しい。論述は部分点狙い ×:ドボン
*間違いがあるのをずっと放置してました。直しました。ごめんなさい。
名古屋大学 2020年
Ⅰ
問1 アルタミラ◎
問2 a)ジブラルタル海峡◎
b)フェニキア人がイベリア半島沿岸部に多く植民市を建設した理由
・フェニキア人の航海は地中海の海流に沿って行われたため。またイベリア半島では銀など鉱山資源が獲得できたため。▲
問3 下線部(第二回ポエニ戦争)の経緯
・第二回ポエニ戦争でハンニバルはイタリア半島に侵入し、カンネーの戦いでローマ軍に勝利した。さらに同盟市に反乱を呼びかけたが失敗し、その隙にローマがカルタゴを攻撃したので、ハンニバルはカルタゴに戻るがザマの戦いでスキピオに敗北した。〇
問4 トラヤヌス帝◎
問5 イスラームがガリアにまで侵攻するが、これらの一連の事件が8世紀以降の西ヨーロッパの歴史に及ぼした影響について、具体的に
・フランク王国のカール=マルテルがトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム勢力を破り、ガリアを支配下におさめた。その子ピピンはカロリング朝を開き、その子カール大帝はローマ教皇からローマ皇帝の冠を授けられた。イスラームとの争いを契機にゲルマン、ローマ、キリスト教が融合する中世ヨーロッパ世界が形成された。〇
補足
問2b) 2016年に同じ問題あり。あの先生の出題?
問5 一橋の志望者には定番テーマ。「具体的に」はどちらかと言えば「経緯」に関わる」ことで「影響」は抽象的なので、発問をもう少し工夫して欲しいところ。とはいえ高校生は単元で習ったことを書けば大丈夫。解答例では「経緯」と「影響」がリンクするようにしたので長め。
Ⅱ
問1 ア ローマ◎ イ 北京(大都)◎
ウ コンスタンティノープル◎ エ 長安◎
オ 草原◎ カ オアシス◎ キ 海◎
問2 草原地帯で遊牧国家が起こると大国に成長するが、「そのような大国が生まれると」に続く内容を考えて書く。
・国境がなくなり交易ルートの安全が保たれるので、人・モノ・情報の交流が促進され、東西の経済や文化の交流が盛んになる。
問3 ク スキタイ◎ ケ 匈奴◎
問4 コ ヘロドトス◎ シ 『歴史』◎
内容:ペルシア戦争の背景や経緯を周辺地域の事情に触れながら物語的に叙述している。〇
内容:太古から武帝までの時代について皇帝の業績と人物伝からなる紀伝体で叙述する。〇
問5 史料を読んでスキタイと匈奴に関する記述の共通点を4つあげる◎
・定住をせず移動しながら生活する
・農耕はせず家畜の遊牧で生活する
・騎馬で弓を使う
・戦況にあわせて臨機応変に戦法を変える
問6 騎馬遊牧民が世界史に与えた影響として考えられること
・政治面では拓跋国家と呼ばれる唐に見られるように遊牧民が農耕世界を支配するための帝国システムが生み出された、経済面ではモンゴル帝国に見られるようにユーラシアの循環システムが生み出された。△
補足
ここからの出題
新テストを意識したような読解問題が並ぶ。
問1イ 「元代以降首都となった」だから北京(別の呼び名もあるが)。
問2 解答例は「小国が分立すると行く先々で税金を取られるし、小競り合いが起きて商売どころではない」という観点から書いた。もちろん統合の途中で住民が抵抗して街が破壊されたくさんの死者がでるので、いいことばかりでもない。
問3 名古屋大学文学部は匈奴が大好きだが、一度出題ミス(「前2世紀から1世紀にかけて」=前1世紀か後1世紀かで解答が違う)あり。
問6 高校生は問2と同じことを書いておく。解答例はそれだとつまらないので(笑)、今流行の「帝国」(拓跋国家)と「グローバル化」(モンゴルによるユーラシアの一体化)の影に遊牧民ありみたいな大風呂敷にしてみた。点数がもらえるかは不明。
Ⅲ
問1 a ボニファティウス8世◎ b ウィリアム=オッカム△
c ウィクリフ◎ d フス◎
問2 A コンスタンツ◎ B オックスフォード◎ C プラハ〇
問3 聖職売買や聖職者の妻帯◎
問4 フィリップ4世が国内の聖職者に課税をしようとした。◎
問5 ペトラルカ◎
問6 1)マルティン=ルターの教えはどのようにして人々に伝わったか
・活版印刷機によってルターの著作や教会批判の風刺画がパンフレットやビラとして印刷され、その内容が人々に広まった。△
2)なぜルターの思想が広範な社会層に受け入れられたのか。
・ルターの思想が既存の秩序の批判につながったから。農民にとって教会は領主でもあり、彼らは負担軽減を求めていた。都市や領邦君主にとって教会は皇帝と結びつく権威であり、彼らは贖宥状の販売に不満を持ち、皇帝や教皇からの自立を目指していた。△
補足
Ⅲは毎年ヨーロッパの近代が多いが、今年はそれがⅣに行って現代史がなし。中世から近世史も過去問では時々出てくる。
問1b) 唯名論で時代から推理すればこの人。
問61) フスの時になくてルターの時にあったのが印刷機。グーテンベルクが1450年にマインツで金属活字を考案し、ブドウ絞り器をヒントにプレス式の活版印刷機を発明したとされる。
テッツェルの風刺画。「So bald der Gülden im Becken klingt, Im huy die Seel im Himel springt(グルデン金貨がチリンと鳴れば、魂はポンと天国へ飛び上がる)」との謳い文句で贖宥状を売りさばいていたとされている。ウィキメディアコモンズ、パブリックドメインの画像。
問62)「セクハラ」「パワハラ」という言葉が生まれたことで、これまで黙っていた人たちの異議申し立てが可能になった。解答例はそういう視点で書いた。
ルターは「九十五か条の論題」をラテン語で書いているので、彼的には純粋な神学論争なのだが、教会の扉に貼るとか、教皇の破門状を燃やすといったパフォーマンスを見て、一般民衆は「あ、教会って批判していいんだ!」と思う。ルターが考える以上にその行動は人々に影響を与えた。
ルターの宗教改革が史上初の「メディア戦」だった
Ⅳ
設問
16世紀後半に始まったマニラ、アカプルコ、中国間の国際交易について説明 350字
解答例
・スペインは16世紀に新大陸を植民地化し、メキシコやボリビアで鉱山を開発した。採掘された銀はメキシコで銀貨に鋳造され、アカプルコ港からガレオン船でマゼランの世界周航を契機にスペインの植民地となっていたフィリピンのマニラ港に運ばれた。当初明は海禁を実施していて倭寇が密貿易を行なっていたが、16世紀後半に海禁が緩和されて中国商人のルソン島への渡航が認められ、彼らがジャンク船で生糸や陶磁器をマニラに持ち込み、スペインの銀と交換した。日本は勘合貿易が衰退して中国の交易が途絶し、解禁後も交易が禁じられていたので、日本商人もルソン島を訪れて中国の生糸を買い求めた。スペインは新大陸の銀を背景にヨーロッパの覇権を握り、中国は銀の流入で商工業が発達し、商品作物や陶磁器の生産が盛んになり、租税の銀納も進んだ。346字▲
補足
高校生だと 「新大陸の銀をアカプルコからマニラに送って中国の商品と交換した」で話が終わってしまう。高校生には350字埋めるのはつらい。
解答例は後期倭寇、海禁の緩和、日本の事情を付け加えた。
まとめ
今回は、用語だけでなく教科書の記述内容までしっかりと入っている、授業で先生の話をちゃんと聞いている、名古屋大学以外の過去問もやっている、で差がつくような構成です。新傾向の読解問題も世界史の知識が必要になっています。
毎年こういう感じでお願いしたいです。