教科書が最後まで終わらない受験生のために、戦後史の必要最低限を解説するシリーズ、第4回は南・西アジア、アフリカ編です。
過去回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
帝国書院『新詳世界史B』、東京書籍『世界史B』および山川出版社『詳説世界史研究』を参考にしています。
1 南アジア
1930年代:インド(1 )派:指導者[2 ]
(3 )連盟:指導者[4 ]
1947年:インド独立法(アトリー内閣)
分離独立 インド連邦(首相 ネルー)
(5 )共和国(総督 ジンナー)
ガンディー…1948年にヒンドゥー教徒に暗殺される
第1次インド=パキスタン戦争
1972年:スリランカに改称
対立:シンハラ人(人口の80% 仏教徒 アーリヤ系)
タミル人(ヒンドゥー教徒 ドラヴィダ系)
1950年 インド連邦共和国…イギリス王室への忠誠を否定
憲法で(7 )否定→アンベードカルを議長とする起草委員会
1954年 コロンボ会議→(8 ) の発表
ネルーと[9 ]と会談。非同盟・中立外交を唱える
→1955年 (10 )会議
1959年 中印国境紛争(~62)
1965年 第2次インド=パキスタン戦争
1971年 第3次インド=パキスタン戦争
→東パキスタンの独立をインドが支援、(11 )の独立
インド インディラ=ガンディー首相が親社会主義路線に転換
→1984年に暗殺 息子ラジブ=ガンディーが首相
1974年 インド核実験…世界で6番目の核保有国
1998年 パキスタン地下核実験…同7番目
解説
1935年の新インド統治法でインド人に州政府での自治が認められ、多数の州で国民会議派が政権を獲得しますが、ムスリムが多数を占める州ではムスリム地域政党が勝利します。
第二次世界大戦中イギリスはまたしてもインドの人員と資金をあてにします。国民会議派は「インドを出ていけ」(クイット・インディア)運動を展開し、協力を拒否しますが、植民地当局は国民会議派を非合法化し、指導者を投獄します。
一方ムスリム連盟はイギリスに協力する姿勢を示し、ジンナーは1940年にパキスタンの建設を目標と公言します。
*「サイレントマジョリティーは賛成」→全国高校長会が延期の要望書→私立中高連が実施の要望書→「準備している生徒もいる」、分断政策?
戦後インドはイギリスに対して大きな債権を保有し、イギリスはもはや植民地を維持することができなくなりました。マウントバッテンの調停の元、インドと東西パキスタンの分離独立、パンジャーブ州とベンガル州はヒンドゥーとムスリムが多い地域に分割する、としました。
この分割案で両教徒は移動を余儀なくされ、その途上で多くの人が犠牲になりました。またガンディーは最後まで統一インドを目指しますが、ヒンドゥー教徒に射殺されます。
空欄
1 国民会議
2 ネルー
3 全インドムスリム
4 ジンナー
5 パキスタン
6 カシミール
7 カースト
8 平和五原則
9 周恩来
10 バンドン(アジア・アフリカ)
11 バングラデシュ
2 西アジア
① イラン
大戦中…中立を宣言もイギリスとソ連に占領される
1951年 [12 ]首相 石油国有化→失脚
→[13 ]2世の「白色革命」
1979年 [14 ]のイラン革命…イラン=イスラーム共和国
イスラーム体制 対米対決姿勢
② イラク
1958 イラク革命 カセムの指導、共和制 バグダード条約機構脱退
1960 バース党のクーデタ
[15 ]大統領
1980年 (16 )戦争 イラン革命の波及阻止
1990年 (17 )へ侵攻
1991年 (18 )戦争…米英を中心とする多国籍軍
③ アフガニスタン
1979年 ソ連の侵攻→88年 撤退合意
1996年 (19 )の実効支配→2001年 アメリカの攻撃
解説
戦後のイランではイギリスのアングロイラニアン石油の支配が高まり、モサデグが石油国有化を宣言しますが、国際石油資本のボイコットにあって失脚します。
その後国王パフレヴィー2世が石油収入とアメリカの支援を背景に西欧化政策を行いますが、権力の腐敗や情報機関による弾圧に対する不満が高まります。
そこでパリに亡命していたホメイニが大衆運動を指導し、国民投票を経てイラン=イスラーム共和国の建国を宣言します。
*テレビっ子の私は、アメリカ大使館占拠の様子を観るため連日テレビにかじりついていました。あと「シーア派はお坊さんがいるんだ」と思いました。
面子丸つぶれのアメリカは隣国のフセインにイラン=イラク戦争を起こさせます。アメリカの後押しでソ連製武器で攻めるイラクと、ソ連の援助を受けてアメリカ製の武器で応戦するイラン、という倒錯したことになります。
調子に乗ったフセインをアメリカはブッシュ父子の二度の戦争で打倒しますが、無政府状態になったイラクとシリアの国境付近には「イスラミック・ステート(ISIL)」が台頭します。
またアメリカはソ連のアフガニスタン侵攻に際してパキスタン経由でゲリラを支援します。この時、サウジアラビア出身でムジャヒディン(戦士)としてソ連と戦ったのがオサマ=ビン=ラディンです。
ソ連のアフガニスタン撤退後、パキスタン国境付近の難民キャンプで育ったターリバーン(「マドラサの生徒」の意味)が国土の大半を掌握、イスラーム原理主義に基づく政教一致政策をとります。バーミヤンの大仏が破壊されたのは有名です。
アメリカ合衆国は2001年の同時多発テロ事件を起こしたアル=カーイダの活動拠点だとしてアフガニスタンを攻撃し、ターリバーン政権は崩壊します。
つまり、西アジアの混迷はアメリカ合衆国のマッチポンプといえます。
*発展:パキスタン国境地域で女子教育を否定するターリバーンを批判した14歳のマララ=ユスフザイさんが銃撃され、重傷を負います。彼女は2014年にノーベル平和賞を受賞しました。
タリバン破壊の仏像群を修復、7000個の欠片から アフガニスタン
マララ・ユサフザイさんの国連本部でのスピーチ(7月12日) 日本語字幕
イランとアメリカの関係
空欄
12 モサデグ
13 パフレヴィー
14 ホメイニ
15 フセイン
16 イラン=イラク
17 クウェート
18 湾岸
19 ターリバーン
3 アフリカ北部~シリア
① エジプト
1952年 自由将校団(中心 ナギブ)の革命→1953年 共和制
[20 ]大統領
アスワンハイダムの建設→借款を英仏が拒否
1956年 (21 )運河国有化宣言→スエズ戦争
(22 )半島を奪われる
[23 ]大統領
1973年 第四次中東戦争
1979年 エジプト=(24 )平和条約 シナイ半島の返還合意
② 2011年「アラブの春」
エジプト…ムバラク政権が倒れる
リビア…長年独裁を続けていた(26 )が殺害される
シリア…アサド親子の独裁に民衆が蜂起
→アサド側はロシアなどの支援、内戦の勃発
解説
エジプトは第一次世界大戦後に近代化を目指すワフド党を中心とする独立運動が広がり、1922年にエジプト王国として独立します。しかしイギリスはスエズ運河の権益を維持し、イスラーム主義を唱えるムスリム同胞団の運動も起きます。
ナセルはスエズ戦争で国際世論の支持を取り付けて勝利します。国際的威信を高めたナセルは、アラブの大同団結を目指してシリアと合併(~61年)、親ソ路線に傾きますが、第三次中東戦争でイスラエルに完敗します。
「アラブの春」はチュニジアから始まります。失業中の青年が街頭で果物や野菜の販売を無許可で始めると、警察官から商品とはかりを没収され、暴行を受けたうえ賄賂を要求されました。
彼は抗議して県庁舎前でガソリンをかぶって焼身自殺しました。これがSNSで拡散し、翌年1月に民衆暴動が発生、ベン=アリ大統領は辞任に追い込まれます。
空欄
20 ナセル
21 スエズ
22 シナイ
23 サダト
24 イスラエル
25 チュニジア
26 カダフィ
4 アフリカ
① 独立
1950年代…リビア(伊)モロッコ・チュニジア(仏)スーダン(英)独立
1957年 ガーナ独立…[27 ]指導 サハラ以南の初の黒人共和国
1958年 仏領ギニア独立…セク=トゥーレ指導
1960年 「アフリカの年」(28 )国独立
1962年 (29 )独立
民族解放戦線(FLN )とフランス人入植者との争い
1970年代…ポルトガルでサラザール引退→アンゴラ、モザンビーク独立
(30 )(アフリカ統一機構)…エチオピアのアジスアベバで開催
② 南アフリカ
(31 )(アフリカ民族会議) 黒人解放組織
1991年[32 ]廃止 デクラーク大統領
1994年 ANCの[33 ]が大統領に就任
③ 独立後の諸問題
(34 )動乱
1960年 コンゴがベルギーから独立(首相[35 ])
ベルギーが稀少金属の多い南部カタンガ州を独立させようと画策
ルムンバ処刑 モブツ軍事政権、国名をザイールに改称
ナイジェリア
1960年、イギリスから独立。ビアフラ州の分離独立運動
1974年 軍部の革命でハイレ=セラシエ皇帝が廃位
2003年 ダルフール紛争
2011年 南スーダン独立 スーダンと国境紛争(12)…自衛隊のPKO
(36 )
ドイツ領→ベルギー領 少数派ツチ族を使って多数派フツ族を抑圧
1990~94年 内戦。ツチ族の約100万人が虐殺される
1980年代から内戦状態。国連のPKO活動が失敗し撤退
解説
アフリカ諸国は独立を達成したものの、植民地時代のモノカルチャー経済、ルワンダに見られる分断政策、恣意的な国境線のまま国家を建設したことから、少さなパイを奪い合って軍事独裁政権と内戦が続きます。さらに70年代から80年代の自然災害が相まって多数の餓死者が出ました。
2000年頃から資源価格の上昇を背景に経済開発が進み人口も増加、最近では通信などインフラ整備(中華人民共和国が巨額の投資をしている)も進んでいますが、サブサハラ・アフリカの所得水準は他の新興国地域と比べて著しく低いままです。
マストアイテム
空欄
27 エンクルマ
28 17
29 アルジェリア
30 OAU
31 ANC
32 アパルトヘイト
33 マンデラ
34 コンゴ
35 ルムンバ
36 ルワンダ
続く