子どもが「大学で『大阪の古地図と現在の地図を比較してレポートを書きなさい』という宿題が出たから一緒に行って」と言うので、大阪の梅田界隈を古地図片手に散策することに。ブラ〇〇リ?
私はこちらをダウンロード。
古地図と現代の地図(ネット接続必要)を比較できる優れものです。
同じ古地図が大阪市立図書館の「デジタルアーカイブ」にありました。「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」(許可なし二次使用可)なので、自説のためにスクリーンショットとして引用します。
出典「新撰増補大坂大絵図」(「大阪古地図集成第4図」大阪都市協会 1980年
原版は1691年)
「そねざき村」(現大阪市北区曽根崎)「大江橋」の地名があります。大江橋の南詰にある京阪電鉄大江橋駅をスタートに北上します。
この界隈は各藩の蔵屋敷が建ち並んでいたところで、年貢米が集まりました。現在大阪地裁が建っている場所は、別の古地図には「ナベシマ」となっていて、探検すると「佐賀藩蔵屋敷跡」の石碑がありました。
*明治の地図では「懲役場」となってました。((((;゚Д゚)))) 裁判所は中之島。
『曽根崎心中』にあるように古地図では森です。現在は商店街です。
古地図と現在とは道路も街の様子も大きく違うので、お寺や神社が現在地を知るのに役立ちます。
古地図の空白部分(いわゆる「新地」)が、現在はJR大阪駅、阪急梅田駅及び周辺の繁華街になっています。
大通りを渡って東側の「寺町通り」に行ってみました。
私の故郷も城下町で「寺町」がありますが、やはり街外れにあります。敵が攻め込んでくる可能性が高い場所に位置し、有事の際は前線基地になります。
浄土宗妙香院
古地図にある寺です。さすがは都会のお寺、建物も壁もコンクリート製です。
しかし現在はお寺の数は減っていて、どちらかといえば一帯は
ラブホテル街です(画像なし)
女子大生の宿題にしては刺激が強い気がしますが、確かに寺町も歓楽街も街外れに立地します。
古地図では寺町通りの北にも寺が無秩序に建っています。別の古地図だと道も入り組んでいます。
行ってみると「太融寺町」という地名でお寺も何軒か残っています。道も入り組んでいます。
寺町通りの東にある「天神」を探しました。飲み屋とキャバクラ街をさまよっていると発見しました。
綱敷天(つなしきてん)神社
北野(喜多野、喜多埜)天神とも通称され、概ね旧西成郡北野村を氏地としています。大阪駅界隈を「キタ」というのはここから。現在「北野村」を偲ばせる名前は「北野病院」などわずかです。
そういえば菅原道真といえば梅。この辺は「梅田」ですね。
由緒はこちら。
最後に角田町にあるという綱敷天神社の末社を探して阪急梅田駅方面へ。
歯神社
ヘップファイブの裏にひっそりと建っています。
由緒はこちら。洪水の「歯止め」から「歯」の神様へ。
オープンストリートマップのフリー地図より。拡大すると神社が出現。
古地図に描かれている天神から北西へ伸びる道が、現在の地図では神山町から中津にかけて、国道やJRに遮られながらも残っていることがわかります。
皆さんも古地図アプリを片手にぶらつくと、思いがけず古い街の面影を見つけることができるかも(ラブホとキャバクラはもう勘弁)。