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ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

フィールドワーク 始皇帝と大兵馬俑展@大阪

 先日教員の研究会で大阪市にある国立国際美術館に行きました。学芸員さんの講話を聞いた後「始皇帝と大兵馬俑展」を鑑賞しました。

 

特別展のサイト 

heibayou.jp

 

国立国際美術館のサイト

www.nmao.go.jp

 


 会場は終了間近のため混雑していました。この日はシニア層が目立ちました。エントランスには始皇帝の若かりし時代を描く『キングダム』の原画や設定の展示がありました。中国の歴史物はアクション、サスペンス、コメディー、お色気(笑)、ビジネスの教訓をバランスよく織り交ぜることができるので、青年マンガに向いています。

 

国立国際美術館 エントランス

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同 記念撮影コーナー

 

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『キングダム』の特設サイトはこちら

youngjump.jp

 

 展示は3つのブロックにわかれていました。最初のブロックは統一以前の秦が周辺の地域の文化を吸収しながら強大化する過程が出土物で解説されていました。

 興味深いのは遊牧民との関わりを印象づける短剣や馬具の金具です。兵馬俑の中に遊牧民の顔立ちを持つものがあります。戦国の七雄の中でもっとも西方にある秦は遊牧民の文化を取り込んで強大化したことを想起させます。

 また教科書にちょっと出てくる「犬戎」の土器が展示されていました。遊牧民は青銅器文化が中心ですが、犬戎は牧畜(定住)もしていて、農耕地域の文化も受け入れていたことがわかります。

 秦が趙を攻め滅ぼして戦利品として得た美しい青銅器(鼎 もとは中山国のもの)に、秦の行政区の名前が追加で刻まれていました。殷(商)の甲骨文字は占いに使われていましたが、西周の青銅器には「これは××が作って○○から△△に送ります」と書かれています。西周以降は文字は伝えるという実用だけでなく、君臣など権力関係の明示に用いられたことがわかります。

 

 第2のブロックは統一秦の出土物の展示です。教科書でおなじみの枡、重り、半両銭以外にも公文書の偽造を防ぐ封泥(竹簡をひもで縛った上から泥の封をして公印を押す)など中央集権的な統治のためのグッズが並びます。

 中でも目を引いたのが陶器製のL字型水道管です。何本かを連結して地下に埋められていたようです。水害対策との説明でしたが、日本列島では狩猟や採集をしていた時代に都市の防災対策が行われていたとはびっくりです。

 

 第3のブロックが兵馬俑の展示です。統一前の秦の頃から副葬品として人、馬、家のミニチュアが作られていたようです。兵馬俑は等身大が8、馬1、やや小ぶりなものが1展示されていました。将軍と思われる兵馬俑は1号兵馬俑坑の中で10体しかない貴重なものらしいです。また跪座で矢を射る兵馬俑は、右足(矢を打つ時踏ん張る方の足)の靴底に滑り止めが表現されています! ボーリングシューズみたいです(笑)。

 

 第3ブロック最後の展示は2台の銅車馬(レプリカ)です。これは始皇帝の「御用車」を1/2に縮小したもので、一台は先導車、もう一台は屋根付きのいわゆる「リムジン」です(霊柩車との説もあるそうです)。精緻な装飾が施されていて、始皇帝の権力の絶大さを思わせます。

 

見所の展示品の説明はこちら

heibayou.jp

 

 出口には兵馬俑のレプリカが展示されていて、ここは写真OKだったので記念撮影で賑わっていました。「自分も軍団の一員」と兵馬俑の後ろに同じ姿勢で並んで写真を撮ってもらっている若い方もいました(笑)。

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 単なる兵馬俑の展示だけでなく、秦が西周や中原の農耕先進地域や遊牧世界の文化を受容し、強大化していく様子がうまく表現されている展示会でした。

 

 ラストの展示は始皇帝の死後に儀式をするための壺(水か酒を入れたのでしょう)でした。巨大な陵墓と軍団を作り、死後もなお永遠に「中国」を支配しようとした始皇帝、しかし彼の死後秦は程なく滅亡し、存在はいつしか忘れ去られ、兵馬俑たちは1974年に農夫が偶然掘り当てるまで長い眠りにつくのでありました…(『その時歴史が動いた』の松平アナ風に)。

 

 東京、九州と巡回して大阪が最後の展覧会だそうです。すでに鑑賞された方も多いと思いますが(東京は40万人、九州も20万人を集めたそうです)、会期は10月2日(日)までです。まだの方に是非お薦めしたいです。