ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

「受験は団体戦」について考えるその2

「受験は団体戦」について考える 後編です。

 

 まず「みんなが頑張っているから私も頑張る」ですが、その進学先に行きたいのは私です。だから周囲がどういう状態であろうが私は目標に向けて頑張るべきです。

 

    私の学校の三年生は5月末に体育系はほぼ引退しますが、一部の部活動(部員数が多い)は夏まで公式戦があるので、一学期は本格的な受験シーズンというムードがありません。

    「周りがまだはじめてないからいいか」というのは、「自分がやりたくないのを周囲のせいにしている」のであって、そういう団体戦では困ります。

 

 また「周囲の応援があって頑張れる」ですが、野球の試合なら客席の応援が聴こえて普段以上の力が出るというのはあり得ますが、受験会場ではひとり、誰も助けてくれません。

 

発展:私の勤務校がセンター試験会場に指定されている某大学に行くと、正門から会場までの並木道は各校の先生と「○○高校」と書かれた大量の幟で埋め尽くされます。縁起物のお菓子を渡して激励するなど、ほとんどお祭りです(笑)。ある学校は場所取りに朝の3時に大学に行くそうです!

   そんなことをしているのは私の県だけという話も聞きます(生徒以外は立ち入り禁止という試験会場も多い)。私が進路主任の時に過度な応援をやめました。

 

追記 1/14 こんな感じ

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 先生が外で熱心に応援してくれたとしても、教室の中には入れません。机に座ったら受験生は誰の力も借りず解答しなければなりません。

    隣の人と机をつけてアクティブラーニングしたり、某サイトの知恵袋に投稿したりしたら(そんなことありました!)全科目0点です。

    そして自分が解答した答案が回収されればもう後戻りできません。

 

    部活の団体戦なら自分が負けても誰かがカバーしてくれますが、すべての責任を自分ひとりで負うのが受験です。だから受験は「個人戦」です。

 そこで最近は「受験勉強は団体戦だが受験は個人戦」と言う人もいますが、それはら「受験は団体戦」ではありません。

 

 私は「受験は団体戦」が学校の秩序維持や怠け心を押さえ込むためのものなら、試験会場で使えない、だから「受験は個人戦」と考えます。

 

    しかし試験会場でも使える「受験は団体戦」もあります。

    それが「松」です。

 

 私は世界史のセンター試験演習で、生徒たちに自分が選んだ解答がなぜ正しいか、答えも教科書も見ずに議論しあって答えあわせをしてもらいます。

   その時にある生徒が「『波に乗るのうまいか』だから2番が答え」と言っていました。これは「732年にトゥール・ポワティエの戦いでウマイヤ朝とカール=マルテルが争った」を一気に覚えるゴロで、私が授業で紹介したものです。

 

 試験会場でもっとも孤独に苛まれるのは「本当にこの答えで正しいのか」と思う時です。失敗すれば即終了、あやふやな知識だと強い不安に襲われます。入試は「落とす」ことが目的ですから、当然受験生のあやふやな部分を突いてきます。

 

 「受験は団体戦の松」のひとつは「知識の精度を上げる」です。

   自分で勉強できる時間は限られていますが、他人が時間をかけて編み出した知識をもらえば、その人の学習時間をもらうことになります。

 

 もうひとつは「感情が記憶を強くする」です。

    「私がわからなくて友だちが得意げに答えてイラッとした」「私だけが答えられて褒められた」など、その知識を得た際に抱いた感情が強ければ強いほど濃い記憶が形成されます。

    世界史の中でも覚えにくい「サッコ・ヴァンゼッティ事件」も友だちに「サッ子」がいれば頭に入るように、関連づけられた記憶は強固です。

 もちろんこれらは自学自習で行うことも可能ですが、「受験は個人戦」と決め込むよりも他人をうまく利用すれば、試験会場で迷ったときに「これは先生がこう覚えろと言っていた」と確信を持って答えることができます。

 

    私はこの「他人との関わりで得た質の高い知識を試験場で使うこと」を「受験は団体戦の松」と定義します。

  これならば孤独な試験会場で、受験するのはもちろん自分一人ですが、先生や友だちと一緒に問題を解くように(モンスターを召喚して戦うみたいに)答案に向かうことができます。

   

 試験直前には新しいことをせずこれまで間違ったことやあやふやなところをチェックするというのが鉄板ですが、ただ見るのではなく必ず間違ったときに言われたこと、その時の様子や感情を思い出しながら知識や理解を確実にしてください。

    「受験は団体戦の松」は「一緒に勉強した」行為ではなく、そのことによる「記憶の定着」です。そのときの様子を思い出しながらの復習は欠かせません。

 

 試験会場の机にはひとり、応援している人は外、しかしその人からもらった知識はあなたと一緒にいます。自信を持って答案に向かいましょう!