ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

答礼人形「ミス三重」@三重県立博物館2017

 先日、津市にある三重県立博物館の「人形大使『ミス三重』90周年里帰り展」を見学しました。

 日本と米国が互いに人形を贈り合う交流を行ってから今年で90年、三重県から米国に贈られた人形「ミス三重」が里帰りするのを記念する展覧会です。

 

ホーム - missmie ページ!

 

www.zb.ztv.ne.jp

 

 

1 展示内容

 

 19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本からアメリカ合衆国やブラジルに移民が行われました。

 1833年にイギリスが奴隷貿易を禁止し、また南北戦争後黒人奴隷制が廃止されたので、アメリカでは低賃金の契約労働者として中国系移民が急増しました(背景はアヘン戦争での清朝の敗北)。

 しかし白人労働者との利害対立が生じ、1882年に中国人労働者移民排斥法が成立します(東京大学の過去問)。

 代わって日本人移民が急増しますが、日露戦争以後日米の利害対立が顕在化すると、1924年の移民法では日本人移民は禁止、ヨーロッパの移民は国別に数を制限されます(ここ試験に出ます)。

 

 日米関係が悪化する中、宣教師として日本に25年間滞在したシドニー・ルイス・ギューリック氏が「排日問題は日本への無知や誤解が原因、お互いに理解し合えば解決できる」と考え、「日本の子どもたちに人形をプレゼントする」という民間レベルの交流を計画しました。

 1927(昭和2)年、日本のひな祭りを目指してアメリカから12,000体の「青い目の人形」がプレゼントされます。

 この時日本側の窓口になったのは渋沢栄一氏で、外務省や文部省に掛け合った結果、全国の小学校や幼稚園に人形が配布されることになりました。

 当時の子どもたちにとって「青い目の人形」はかなりの衝撃だったようで、各地で人形の歓迎会が盛大に行われました。

 

*発展 「日本とアメリカが本当の仲良し・友だちであるように願っています」というギューリック氏の手紙を持ち、寝かせると目を閉じ、「ママー」と泣いたそうです。まだ動くものもあるそうです!


三重県に現存する青い目の人形

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 そこで答礼として「クリスマスにアメリカへ人形を送ろう」という話になります。日本の道府県の数がアメリカの州とほぼ同じなので、道府県、主要都市、植民地で各1体、合計58体の人形を送ることにしました。

 

答礼人形の製作および修理に関わった吉徳大光さんについて。リンク集もあります。

www.yoshitoku.co.jp

 

 それぞれにその県に縁の名前がついています(埼玉県は「秩父嶺玉子(ちちぶねたまこ)」、東京府は「東京子(あずまきょうこ)」、岐阜県は「ギフ子」)。通称は「ミス三重」のように呼ばれていました。

 

「ミス三重」こと「三重子」。「嫁入り道具」として贈られた調度品、小学生たちのお礼の手紙も展示されていました。

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 人形の資金は募金等で賄われ、県内各地で送別会が行われた後アメリカへ出発、サンフランシスコに上陸し、ボストンで大歓迎を受けた後、各地に送られました。

 
 しかしその後日米は戦争に突入、「青い目の人形」は「敵国の人形」と呼ばれるようになり、多くの人形が処分されました。

 

*発展 1943年の河北新報では、青い目の人形にドクロがかぶせられ、ルーズベルトチャーチルの似顔絵と共に校庭で燃やされ、それを児童たちが敵愾心に満ちた様子で見守る様子が伝えられています。

 

 三重県には200体の人形がありましたが、わずかに9体が現存します。校長先生が捨てたのをこっそり持ち帰った、屋根裏に隠されていたなど、当時の先生たちが総力戦体制と人形との間で揺れ動く様子が目に映ります。

 

 戦後、1973年にNHKが『人形使節メリー』を放映し、児童文学者の武田秀子さんが全国を調査したことから、全国各地で「青い目の人形」の発見が相次ぎます。

 同時に答礼人形についても調査・研究が進みます。人形の里帰りが始まり、ギューリックさんの孫も参加して(この展覧会にも招待されたそうです)、人形を通じた日米の交流が現在続いています。

 

*発展 「ミス三重」はネブラスカ州立博物館に保管されていますが、実はアメリカで展示中に人形の「取り違え」(おっと、昼ドラ?)があって、実は「ミス宮崎」だそうです。「ミス三重」は「ミス兵庫」としてミズーリ州で保管されています(「ミズーリ協定」と「カンザスネブラスカ法」はテストに出ます)。

 しかし長年そのつもりで大切にしてもらったので、そのままになっています。

 

 

2 感想

 

 「日米の対立を民間レベルの活動で何とか好転させたい」という強い思いが感じられる展示でしたが、世界史の教員としては別のことも感じました。

 まずは答礼人形の構造です。「ミス大日本」の「倭日出子」を筆頭に、道府県及び植民地(樺太、台湾、朝鮮、関東州)の人形で構成され、それぞれの名前にご当地の特徴と目されるものが冠せられています(ミス群馬の「上野絹子」、ミス岡山の「岡山桃子」、山梨と静岡は富士推し)。

 前者は当時の人の「国家(帝国)」意識、後者は「ご当地」意識です。この2つが同心円状になってナショナリズム(人為的な国民意識)を構成していることは、ナショナリズムに関する書籍ではよく言われることです。

 私は当時の人の考えを今の視点からとやかく言うつもりはないです。ただ一見素っ気ない「三重子」と「ギフ子」が実はニュートラルだと感じました。

 

*発展 確かに「いせえびこ」「まつさかうしこ」(すべて架空です)が「三重県代表のゆるキャラ」を名乗ったら県内で大騒動になります(笑)。


 もうひとつは「青い目の人形」が日本で歓迎された様子です。各地で人形の歓迎会が行われ、人形に相撲を見せたり、歌やダンスを聞かせたりと、まるで生身の人間が訪問したかのような歓迎ぶりです。不勉強な私はこの心性をうまく説明できません。

 国際交流や平和を願う気持ちの純粋な発露に思えますが、もっと深い意味があるのかもしれません。

 

 戦前の日本の様子や人々が人形に込めた思いが垣間見られるよい展示会です。会期は9月3日(日)まで、入場料無料です。お早めに。

 

 「ブログに写真を掲載していいですか」というぶしつけな質問に快く許可を出していただいた「答礼人形「ミス三重」の会」様、ありがとうございます。

 展示説明および『82年のときを刻んで-人形大使「ミス三重」』(答礼人形「ミス三重」の里帰りを実現させる会編、2009年)を参考にしました。